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小中高校の一斉休校って・・・・ ついに、殿、ご乱心か

安倍政権はあきれるようなことを次々にやってきたが、とうとう3月2日から春休みまで全国の小中高校に休校を要請するとまで言いだした。それも2月27日の夕方になって突然。

ラジオで聞いた私は仰天した。ついに、殿、ご乱心か。

新型ウイルス対策が後手後手にまわったあげく、いったい何を言いだすのか。いさめる人はいないのか。いないだろうな。まわりを全部、イエスマン・イエスウーマンで固めちゃったから。いさめたりしたら自分が失脚しかねない。もう、誰も止められない。魚の頭の腐れが、与党や中央省庁まで腐らせたのか。

たとえば、小学校低学年の子がいる共働きの家で、祖父母と同居していなければ、誰がその子をみるのか。そういったことまで考えての要請なのか。臨時休校を実施した北海道では、病院の看護師さんたちが自分の子どもをみないといけなくなって出勤できなくなり、看護師不足で外来を閉じた病院もあると報道されている。それが全国に広がるのだろう。全国が大混乱になるだろう。
医療だけではない。子どもを持つ人たちがさまざまな分野で働いているのだから、企業や官庁や各種の団体が大混乱するだろう。安倍さんの、唐突な思いつきの発言で。

まあ、この人のことだから、混乱の責任を取ることなくするりと逃げるんだろうな。うまく言葉で逃げれば、なあに、そのうち支持率はV字回復だよって、国民はなめられてるんだな。

うちにも中学生の子がいるが、3学期の授業もまだ残っているし、先生は通知表を書いている最中だろうし、3年生は受験を控えているし卒業もあるし。全国の学校は大騒ぎだろう。もう3月分の給食の食材だって発注されているだろうし、どうするんだろうね。
1人の発症者も出ていない県も一斉休校って。はあ。
学校にも保護者にも考える時間を与えなかった。安倍晋三さんはいったい何様のつもりなのか。殿様のつもりなのか。びっくりだ。

人に考える時間を与えず、意見を聞かず、思いつきでどんどん進む人が「指導力がある」とされるのか。そういう人に限って責任からするりと逃げるのに。

全体を見渡して判断する能力もなく責任を取る気もない人が高い地位について暴走する典型のようだ。それを国民が高い支持率で支える。やはり、ヒトラーの再来を思わせる。

警察も検察も、だんだん上層部は安倍さんのお友達になってゆくのか。
自分が辞任しても逮捕も起訴もされないように。


ご参考
AERA dot.新型コロナで小中高校一斉臨時休校 親からは「共働きの親にとって絶望的」
https://dot.asahi.com/dot/2020022700098.html?page=1

(一滴)

『戦争は女の顔をしていない』の原作を読む

『戦争は女の顔をしていない』の原作(三浦みどり訳、岩波現代文庫)に出てくる話から引用します。
こういった話はいくつもありますが、その中の一つです。
証言者はワレンチーナ・パーヴロヴナ・チュダーエワ氏という女性で、彼女は第二次大戦中、ソ連軍の軍曹で、高射砲指揮官でした。

引用開始

 私たちは十八歳から二十歳で前線に出て行って、家に戻ったときは二十二歳から二十四歳。初めは喜び、そのあとは恐ろしいことになった。軍隊以外の社会で何ができるっていうの? 平和な日常への不安…同級生たちは大学を終えていた。私たちの時間はどこへ消えてしまったんだろう? 何の技術もないし、何の専門もない。知っているのは戦争だけ、できるのは戦争だけ。
 戦争とは早く縁を切りたかった。軍外套を普通の外套に縫い直し、ボタンを付け替えた。使っていた軍靴は市場で売ってパンプスを買った。初めてワンピースを着た時には涙にくれたものよ。鏡を見ても自分だと思えなかった。四年間というものズボンしかはいていなかったからね。負傷したことは誰にも言えなかった。そんなことを言ったら、誰が仕事に採用してくれる? 結婚してくれる? 私たちは固く口をつぐんでいた。誰にも自分たちが前線にいたことを言わなかった。そうやって、お互い連絡だけは取り合っていたの。手紙で。私たちが奉られたり、懇親会に呼ばれたりするようになったのはもっと後になって三十年もたってからのこと。初めは沈黙していたのよ。褒章だって身に付けないでいた。男の人たちは付けていたけど、女の人たちは付けなかった。男たちは戦争に勝ち、英雄になり、理想の花婿となった。でも女たちに向けられる眼は全く違っていた。私たちの勝利は取り上げられてしまったの。

引用終了

 
男性なら、祖国のために戦った自分の戦歴を語り、名誉の戦傷や褒章も含めて武勇伝を自慢したかもしれません。
だのに、軍人だった女性たちは、戦後、自分の戦歴を隠さないといけなかったのです。
 
戦争は殺し合いであり、そもそも人間の顔をしていませんが、特に、女の顔をしていません。

女性の将兵らが戦勝国の勇者として帰還しても、
軍務に尽くして褒章をもらった女性が多数いても、
「私たちは固く口をつぐんでいた」と言うのです。
評価され始めたのは、ずっと後になってからでした。
 
戦争中はもちろん、戦後もずっと、「戦争は女の顔をしていない」。

(伊藤一滴)

『戦争は女の顔をしていない1』(漫画版)を読む

先週の土曜日(2月15日)、やっと、注文していた『戦争は女の顔をしていない1』(漫画版)が届きました。

夢中で、何度も読みました。

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思ったこと その1

まず、第五話から

第二次大戦中のソ連軍には、女性の兵士に女性用の下着を支給するという発想がなく、女性にも男性用の下着が与えられていた。
そんな状況だから、当然、生理用品の支給もない。負傷者用の包帯や脱脂綿も不足する中、代用品の入手にも苦労する。毎日30キロの行軍。行軍中に月経の血がズボンにしみる。血が乾いてズボンが「ガラスのように」なり、身体を傷つける。「いつも血の匂いがしていました」という。
敵機の爆撃の中、血の付いた体や衣服を洗おうとして川に入った女性兵士の数名が、爆弾の破片を浴びて死んだ。

「恥ずかしいって気持ちは 死ぬことより強かった」、という。


・・・・ひどすぎる。
あんまりだ。
ひどすぎる。

戦争は女の顔をしていない。

男の顔だって、していない。

戦争は、そもそも、人間の顔をしていない。

戦争は人間性を否定する!

私は、人間性を否定するあらゆるものが嫌いだ。


思ったこと その2

歴史を描く難しさの一つは、描く人の価値観が投影されてしまう恐れがあることです。

たとえ描く側が客観的に叙述しようとしても、読む側がどう受け取るかわかりません。
作者(取材者)と、異なる受け取り方をする人もいるかもしれません。
何かを述べれば、十分注意しても、述べた側が予想しなかった受け取り方をされるかもしれませんし、何らかの主義主張に利用される可能性だってあります。

でも、たとえそういった恐れがあっても「ソビエト軍に参加した女性たちのことを歴史にはっきり刻んでおいたほうがよい」と、私は思います。
それをどう受け取るかは読む側の責任です。

「かっこいいと思って戦争を美化する人がいるといけないから、述べない方がよい」とはなりません。
「社会主義の正当化に使われるといけないから、述べない方がよい」ともなりません。

私は、原作者と漫画家・監修者に、ただただ頭が下がります。


思ったこと その3

文字だけ読んでも、その光景を想像するしかありませんが、漫画版だと、絵を見ながら読めます。
監修者の、超マニアックな「ソ連軍の軍備・軍装の知識」のおかげで、おそらく、かなり正確な絵が描かれているのではないかと思われます。
この漫画は、当時のソ連軍の軍備・軍装の記録としても貴重です。言葉の記録としては原作にかなわないにしても、軍備・軍装の記録という点では、漫画版は原作を超えていると思われます。(欲を言えば、ある程度カラーページがほしかった、と思います。普及版と別にカラーページを入れた愛蔵版を上質紙・ハードカバーで出して、広く図書館や学校の図書室などに入れ、長く後世に伝えてほしい。)

(伊藤一滴)

エヴァンズ著『聖書的な女性らしさの一年』の「屋根の上」の聖書的根拠

エヴァンズ著『聖書的な女性らしさの一年』、読書中です。

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原題をそのまま訳せば『聖書的な女性らしさの一年:解放された女性が、自分の家の屋根の上に座り、頭を覆い、夫を旦那様と呼び、自分を見出した方法』みたいな感じです。

(A Year of Biblical Womanhood: How a Liberated Woman Found Herself Sitting on Her Roof, Covering Her Head, and Calling Her Husband Master)

最初にこの題を見たとき、屋根の上に座ることの聖書的根拠がすぐに思い浮かびませんでした。(※1)

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聖書に、屋根の上に座る話なんてあったかなあー? 屋根に穴を開けて病人を吊り下ろす話ならあるけど、なんて思いながら『聖書的な女性らしさの一年』を読み進めて、やっとわかりました。

「聖書的根拠」はマタイ福音書に出てくるイエスの言葉です。「10:27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。」

屋根の上に座れとは書いてないので、立ってもいいのでしょうが、屋根の上と書いてあるんだから屋根の上で言い広めないと。

ちなみに「頭を覆い、夫を旦那様と呼び」の根拠は1コリントや1ペテロでしょう。(※2)


さて、「聖書に書いてあることをすべて文字通り信じています」と言う人たちは本当にやってるんでしょうか?
ちゃんと屋根の上でイエス様の御言葉を言い広めているんでしょうか?

「それは比喩的な表現です」なんて言わないでくださいよ。「神による人間の創造は比喩的な表現などではなく事実ですから、進化論は間違っています」なんて言い張るのに、こっちは比喩だなんて、主観的にああ言ったりこう言ったりは、なしですよ。

聖書に書いてあることを文字通り信じるとおっしゃるなら、ちゃんと屋根の上で語ってからにしてください。

「私たちは正しい聖書信仰に立つ福音主義のクリスチャンです」などと称して人を取り囲んで詰問したり、非難を浴びせたり、他派を貶めるビラを配ったりするより先に、まず、ご自分で聖書に書いてある通りにやってみればいいのです。やってみれば、目を覚ますチャンスもあるでしょう。

エヴァンズ氏は、聖書に書いてあることをその通りにやれるか本当に試したんです。
実際に屋根にも座りました。
やろうともせずに、「聖書を文字通り信じています」なんて、簡単に言ってもらっては困ります。

私ですか?
私は「文字通り」信じる立場ではないので、そういうことは何もしてません。

(伊藤一滴)


※1:後から調べたら、旧約聖書の「箴言」に「21:9 いさかい好きな妻と一緒に家にいるよりは/屋根の片隅に座っている方がよい。」(新共同訳)なんてありますけど、女性に屋根に上るようにと言っているのではありませんし、この箇所ではないようですね。

※2:聖書を「文字通り」信じるクリスチャン女性は、ちゃんと書いてあることを守っていますか? 被り物で頭を覆っていますか? 既婚女性であれば、主に従うように夫に従っていますか? 髪を切るのも駄目ですよ。そう書いてあるんですから。
実際にやろうとすれば、「聖書を文字通り信じる」というのは不可能だとわかるはずです。わからないなら、それはどこかでごまかしているからです。福音派の中の超保守派、福音派を自称する原理主義者や聖書カルトらは、実に、ごまかしが巧みです。

『戦争は女の顔をしていない』

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著『戦争は女の顔をしていない』が漫画化され、出版されました。(小梅けいと作画、速水螺旋人監修  KADOKAWA刊)

読みたいのですが、売れに売れているようで、田舎に住む私は、紙の本を買えずにいます。天下のアマゾンでさえ、今、紙の本は在庫切れの状態です。

一部を無料で読めるサイトがあるので、紙の本を買うまでの間、少し読みたいと思い、パソコンの画面で見ていて、絶句・・・・。

凄まじい・・・・。

第二次大戦中のソビエト軍の女性たちに、こんなことがあったなんて・・・・。
それも、特殊な女性ではなく、普通の、若い女の子たちが・・・・。

原作の日本語訳が岩波書店から出ていたのですが、知りませんでした(※)。

第二次大戦中のソ連軍に女性の兵士がいたこと、中には軍用機の操縦士もいたことなど、一応、知ってはいました。ただ、一応知識として知っていたというだけで、その実態は何も知りませんでした。何も。

パソコンで漫画のお試し版を少し読んだだけですが、ガッツーンとくらったような衝撃です。

戦争は、ひどいものだ、ひどい、ひどい、ひどすぎる。
そんなひどい戦場に、純真であどけない若い女性たちがいる。不思議なことに、明るささえ感じられる。
死が隣り合わせの状況なのに、この不思議な明るさは何だろう?
彼女らは、もう、死線を越えていたのか。もう、死線をさまよう暗さを超越していたのか。
それとも、単に若くて、純粋で、女性の戦友たちと共に、まっすぐに、明るくふるまっていたのか。
その明るさが、かえって戦争のむごさを際立たせる。
小梅氏が描くかわいい女性たちの姿も、戦争のむごさを際立たせる。
戦争は、かわいらしいものとは正反対だ。


池上彰氏のコメントはこちら。
https://book.asahi.com/article/13069876

「ダ・ヴィンチニュース」の五十嵐大氏のわかりやすい書評が、こちら。
https://ddnavi.com/review/592741/a/

(伊藤一滴)


※岩波現代文庫から出てます。岩波は宣伝が下手なんですよ。カドカワは宣伝がうまい。

レイチェル・ヘルド・エヴァンズ著『聖書的な女性らしさの一年』を読む

保守派のキリスト教の環境の中で育ったレイチェル・ヘルド・エヴァンズ氏は、子ども時代、何の疑問も持たずに教えられたことを忠実に信じていました。聡明な彼女は、やがて幅広く学び、またインターネットを使って異文化の人たちと交流し、原理主義的な信仰のあり方に疑問を感じるようになってゆきました。
そして彼女は、ブログや著書で、自分の思いを発信するようになりました。

最初の著書は『モンキータウンでの進化』(のちに『解明された信仰』と改題して再刊)で、自分はモンキータウン(原理主義者の町デイトンのこと)で暮らす中で信仰を進化させたとして、自伝的に自分の信仰の進化について述べました。福音派の中の超保守派や原理主義の「信仰」にとどまっている人たち(進化しない人たち、進化論を認めない人たち)への挑戦状とも言えます。

彼女の2冊目の著書が『聖書的な女性らしさの一年』(2012)です。
原題は A Year of Biblical Womanhood: How a Liberated Woman Found Herself Sitting on Her Roof, Covering Her Head, and Calling Her Husband Master で、そのまま訳せば『聖書的な女性らしさの一年:解放された女性が、自分の家の屋根に座り、頭を覆い、夫を旦那様と呼び、自分を見出した方法』でしょうか。
変なサブタイトルですね。

(ちなみに Calling Her Husband Master は、「彼女の夫を旦那様と呼ぶこと」です。「ご主人様と呼ぶ」でもいいですけど、主人に電話をすることではありませんよ。聖書の時代に電話はありません。)

彼女は、出版社と夫(ダン・エヴァンズ氏)の協力を得て、「聖書的な女性」を1年間実践しようとします。やった結果を本にするということで、出版社にも協力してもらったのです。
そのとき彼女はもう、原理主義的な「信仰」から完全に目を覚ましていましたから、「聖書的な女性」に賛成して実践しようとしたのではなく、本当にそんなことができるのか実験しようとしたのでした。

残念ながらこの本も日本語訳がありません。英語の原著を買って読み始めたばかりですが、実に興味深い本です。

私も思いますが、聖書には、これまでずっと女性を抑えつけてきた差別的な記述がいっぱい出てきます。
もっとも聖書の世界だけでなく、最近まで、世界中にさまざまな女性差別があったし、残念ながら今もあります。世に、広く、さまざまな差別があったから、聖書の中の差別もさほど目立たなかったのだろうと思います。

現代世界が差別のない世の中を目ざす中で、聖書に見られる差別が目立つようになった、とも言えます。

翻訳の問題ではありません。
たとえば NRSV は、RSV 等と比べれば、差別的な表現を避けようとした翻訳の努力を感じますが、いくら翻訳を努力したって聖書そのものに差別的な記述があるので、やはり差別は目立ちます。


さて、「聖書的な女性」を実践しようとしたエヴァンズ氏は、聖書から、「聖書的な女性」はこうあるべきだというモーセの十戒のような戒めを作りました。戒めに反したときは自分に罰金を科して、ガラスのびんにお金を入れるようにしました。
それらの戒めはすべて「聖書的根拠」があります。

日本語に訳して引用します。

一. あなたはすべての事において夫の意志に従うこと。 (創世記3:16、テトス2:5、1ペテロ3:1、エペソ5:22、1コリント11:3、コロサイ3:18)

二. あなたは家庭の義務に身を捧げること。 (箴言14:1、31:10–31、1テモテ5:14、テトス2:4–5)

三. あなたは母親になること。 (創世記1:28、詩篇128:3、1テモテ5:14)

四. あなたは穏やかで静かな精神をはぐぐむこと。 (1ペテロ3:3–4、テトス2:3–5、1テモテ3:11)

五. あなたは控えめな服装をすること。 (創世記24:65、申命記22:5、1テモテ2:8–10、1ペテロ3:3)

六. あなたは祈りの時、自分の頭を覆うこと。 (1コリント11:3–16)

七. あなたは髪を切らないこと。 (1コリント11:15)

八. あなたは教会で教えないこと。 (1コリント14:33–35、1テモテ2:12)

九. あなたは噂話をしないこと。 (民数記12:1–10、 箴言26:20、1テモテ5:13–14)

十. あなたは男性に対して権威を持たないこと。 (1テモテ2:12)

(戒めの原文は荘厳な文語調の英語ですが、読みやすさを考えて日本語の口語体に訳しました。「~しなければならない」「~することはできない」とも訳せます。)

よくまあ過去2千年の長きにわたり、クリスチャン女性は我慢してきたものです。
でも、これらの戒めと、現代の「正統プロテスタント」の主張との整合性はどうなるんでしょう。
自称「福音派」にも女性の牧師がいますが、「あなたは教会で教えないこと」との整合性はどうなんでしょう。
聖書を文字通り信じる女性は祈りの時に頭を覆っていますか? 美容院で髪を切らないんですか? 男性の後輩や部下には指導しないんですか?
これらはパウロが生きた時代の教会の話であって、今の教会には当てはまらないと言うのでしょうか。
でもねえ、聖書が書かれた時代と今とは違うからこれは当てはまらないなんて言い出したら、何でもありですよ。
「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」というのはイエスが生きた時代の話であって、現代には当てはまらないから「あなたの敵をぶっ殺せ」とも何とでも言えますよ。

やはり原理主義の「信仰」には無理があります。

そして、「聖書には差別的な記述が多数あること」や「聖書には現代には通用しない記述や矛盾する記述が多数あること」を認めないと、キリスト教は未来に進めなくなりそうです。

まだ最初の方しか読んでいませんが、はやく先を読みたいです。

(伊藤一滴)


ご参考まで、『聖書的な女性らしさの一年』に書いてある戒めの原文です。

1. Thou shalt submit to thy husband’s will in all things. (Genesis 3:16; Titus 2:5; 1 Peter 3:1; Ephesians 5:22; 1 Corinthians 11:3; Colossians 3:18)

2. Thou shalt devote thyself to the duties of the home. (Proverbs 14:1; 31:10–31; 1 Timothy 5:14; Titus 2:4–5)

3. Thou shalt mother. (Genesis 1:28; Psalm 128:3; 1 Timothy 5:14)

4. Thou shalt nurture a gentle and quiet spirit. (1 Peter 3:3– 4; Titus 2:3–5; 1 Timothy 3:11)

5. Thou shalt dress modestly. (Genesis 24:65; Deuteronomy 22:5; 1 Timothy 2:8–10; 1 Peter 3:3)

6. Thou shalt cover thy head when in prayer. (1 Corinthians 11:3–16)

7. Thou shalt not cut thy hair. (1 Corinthians 11:15)

8. Thou shalt not teach in church. (1 Corinthians 14:33–35; 1 Timothy 2:12) 9. Thou shalt not gossip. (Numbers 12:1–10;Proverbs 26:20; 1 Timothy 5:13–14)

10. Thou shalt not have authority over a man. (1 Timothy 2:12)

(Evans, Rachel Held. A Year of Biblical Womanhood)