« 2009年6月 | メイン | 2009年8月 »

いよいよ総選挙

衆議院が解散されていよいよ総選挙。
みんなで麻生太郎氏を非難していますが、麻生氏って、そんなに悪いのかなあ?
自民党が崩れていく方向に舵を切ったのは、小泉純一郎氏でしょうに。

畑に堆肥などを入れずに化学肥料を多用すると、一時的には豊作になるけれど、土がやせて、翌年はうんと収穫が落ちるそうです。だから、みんなしませんが、そういうことをやったのが小泉流です。違いますか?
小泉氏は、これまで自民党を支えてきた仕組みも人も切り捨てて、一時的に大衆の支持を集めて大勝したのです。小泉氏の手法は一度限りのものであり、二度目は通用しません。
小泉改革があってもなくてもどっちみち自民党の従来のやり方が行きづまる日は来たのでしょうが、自民党が崩れてゆくのを加速させたのは、明らかに小泉改革です。
原因と結果はわかりやすいです。

やはり、ツケは小泉後の首相にまわってきました。とても対応しきれなくなり、2人続けて政権を途中で投げ出しました。小泉政権後の自民党の中では、麻生太郎氏は誠実な人に思えてきます。詐術的な言葉で大衆を煽ることもなく、戦前を美化することもなく、政権を途中で投げ出すこともなく、自分の手で解散に踏み切ったのですから。

政党や候補者がどう言おうが自由ですが、自民・公明両党が今後も政権運営を続けるつもりがあるのなら、以下の点ははっきりさせるべきでしょう。

小泉純一郎氏らによる構造改革路線を今後も続けるのですか? それとも見直すのですか?

麻生政権は、その答えを出さずに解散に踏み切りました。(伊藤)

カメラの話、その後

またカメラの話です。興味のない方はごめんなさい。

1980年だったと思いますが、高校生のときにオリンパスの一眼レフを買いました。それまでずっとオリンパスだったから、迷わずオリンパスを選びました。

その後も、もっぱらオリンパスでした。福祉学部を卒業して就職し、自由になるお金が少し貯まって、オリンパスの一眼レフをもう1台買いました。この2台のオリンパスは、あちこちに持ち歩きました。私と共に旅したカメラです。
オリンパスのOMズイコーというレンズは、扱いやすいし、写りがシャープで、気に入っていました。
今、OMシリーズは生産中止で、これまで集めたOMズイコーレンズが使えるカメラは、現行の機種にありません。今持っているカメラが壊れて修理不能になったら、現行機種とはマウント(レンズの差込口の形状)が違うので、持っているレンズは使い道がなくなります。若い頃から、倹約して少しずつ買いそろえたレンズが使えなくなってしまうのです。オリンパスだけではないけれど、カメラメーカーはそうやって、高価な製品を買ってくれた古くからのユーザーを切り捨ててゆきます。

一眼レフを使い始めたばかりの人は驚くのですが、メーカーによってそれぞれのマウントがあり、レンズの差込口が違っています。一部の例外はありますが、一般に、他社のレンズは使えません。同じメーカーでも、年代やシリーズでマウントが違い、レンズの互換性がないこともあります。なんでそんな不合理なことをするのかと思うのですが、レンズ交換式のカメラとはそういうものです。

1990年代になり、バブルの勢いもあってニコンFM2を買いました。当時、F3が名機とされていましたが、電子制御のシャッターよりも、機械式のFM2にひかれました。黒色のボディーのものを買ったのは、銀色のメッキより黒がかっこいいというイメージがあったからです。戦地での撮影はないと思いますが、野生動物の撮影などには目立たなくていいと思います。ただ、天気のいい日だと、黒いボディーがけっこう熱くなるんですよ。黒色はいいことばかりではありません。

カメラはメーカーによってそれぞれクセがありますが、ニコンの逆ネジはどうかと思います。今さら直せないのでしょうが、レンズを交換するときに、右回しでゆるみ、左回しで締まる逆ネジは、あんまりですよ。水道の蛇口だってボルトナットだって何だって、左に回せばゆるんで右に回せば締まるのは世界のネジの常識です。10年以上ニコンを使っていますが、今もってレンズ交換に手間どっています(私のオリンパスとか、たまに父から借りてくるミノルタは、テキパキとレンズの交換ができるのに)。
でも、ニコンがマウントを変えないのは感心です。先日、工事写真をデジタルで撮る必要があって、知人からニコンのデジタル一眼レフを借りたのですが、1980~90年代のAiニッコールレンズがそのまま使えました。
さすがはニコン。1959年の初代Fから最新のデジタル一眼レフまで、マウントを変えていないのです。これほど一貫性を守っている大手の国産カメラはニコンだけです。逆に言うと、ニコン以外の大手国産カメラメーカーはみな、ユーザーを裏切ってきたと言えます。

ちなみに、
一眼レフのレンズのちりや汚れを取ってもらったら1万5千円。
オリンパスOM-1をオーバーホールに出したら、何と3万5千円(ひえー)。シャッター速度の誤差や内臓露出計の誤差もすべて調整され、内部のミラーの銀の剥落まで修復されていて、びっくりするほどきれいになって帰って来ました。ミラーの経年劣化なんて修復不能だと思ってあきらめていたんですが、ミラーをはずしてもう一度銀を焼きつけたようで、修理痕もほとんどわかりません。修理業者の職人技にびっくりです。
従姉妹の形見の初代オリンパス・ペンのオーバーホールは1万5千円。中古屋でもっと安く売っているのでしょうが、形見ですから、金銭の問題ではありません。

機械式カメラを維持するのは、それなりにお金がかかります。でも、目まぐるしく変化するデジタルカメラを追いかけるより、トータルで考えたら安いのかもしれません。(伊藤)

民主主義の危うさ

これまで書いてきた通り、私は、政治や産業や現代の風潮を皮肉ることがあります。そうしたものにうまく乗せられている状況に対し、辛口のコメントを書くこともあります。
でも、一般庶民を馬鹿にするつもりはありません。私も一般庶民の一人です。

私も含めてですが、大衆は判断を誤ることがあります。馬鹿にしているとかではなくて、これは事実です。
大衆は、やがて自分たちの首を絞めるような道を選んでしまうことがあるのです。

大衆の世論は、マスコミに、特にテレビを使った誘導に流されます。自分は誘導されているという自覚がないのです。
政界財界の人たちは、巧みにマスコミを利用します。うまく世論が形成され、大衆の多数意見が、やがて自分たち自身の首を絞めるような選択をする、そこに民主主義の危うさがあります。

現状は、氷山に向かってゆくタイタニック号に似ています。だのに、操舵士は大きく舵を切りません。「大きく舵を切るべきだ」という意見に対し、「経済活動にマイナスの影響がある」とか「生活水準を下げるべきではない」といった反論が出て、結局、氷山に向かって進んでゆくしかないのです。
大衆の多数意見に従えば大きく舵を切ることができない、それも民主主義です。
江戸時代の上杉鷹山のような大改革は封建時代だから出来たのであって、民主主義のもとでは難しいのでしょう。
氷山に激突して初めて目を覚ます、なんてことになってほしくないのに。

高みの見物をしているわけではありません。私も大衆の中の一人です。庶民の一人です。タイタニック号の乗客です。(伊藤)

伝統民家についての覚え書き・耐震性

大地震の時、土壁は壊れることによって地震エネルギーを吸収し、梁や柱や床を守る。壁と小舞が壊れることで地震の力を殺ぐ。土壁は後から直すことができる。
以前、某ハウスメーカーが、同じ力を加えたときに土壁は壊れるが当社の壁は壊れないという宣伝をしていた。考えがあべこべだ。

霞ヶ関ビル(武藤清氏の構造設計)の場合、大地震時、コンクリートの壁が壊れるよう、わざと作ってある。壁が壊れることで地震エネルギーを吸収させ、構造体を守るためである。武藤氏が民家の土壁を参考にしたのかどうかは未確認。両者の類似性について論じたものは、私は未見。

玉石の上に土台や柱を置いただけの「石場建て」の民家の場合、巨大地震の時、建物が石の上を滑ったり浮き上がったりすることでショックを逃がす。これは一種の免振構造ではないか。
土台と基礎を緊結すべきか否か、戦前から論争があった(杉山英男『地震と木造建築』[丸善])。
戦後、緊結を主張する派が勝って、1950年の建築基準法の規定となった。基準法により一般の木造建築にコンクリートの基礎を用いてアンカーボルトで緊結することがが義務化され、茶室などの例外を除き「石場建て」は不可となった。この時以降、日本の木造建築は伝統的な免振構造を捨てた。

伝統民家の仕口は、剛接合ではないからラーメンを形成しない。かと言ってピン接合でもない。日本の伝統にブレースはないからトラスを形成しない。柱も通し貫によって結ばれ、格子のカゴ状の粘り強い構造体を形成する。あらゆる仕口は、ある程度剛で、ある程度ピンとなり、一種のバネ、一種のダンパーとして働く、と考えられる。ただし、形状や大工の力量によってもどの程度バネが効くか違ってくるだろうから、そもそも、構造解析になじみにくい。モデル化して解析しても、そうとうの誤差が出るだろう。

建築の構造学を学び始めたばかりの頃、私は、日本の民家の力学が理解できなかった。節点は剛ではないし、トラス構造でもない。これは「不安定構造」ではないのかと思えた。「不安定構造」がなぜ壊れないのか不思議だった。今は、上記のように考えれば説明がつく。
学問というものが、いかに西洋直輸入なものか思い知った。

木造建築の構造学の権威であった杉山英男氏は、晩年、転向した。伝統構法に否定的になり、プレファブ建築やツーバイフォーを高く評価するようなことを言い出した。氏のそれまでの研究は何だったのか。
晩年の杉山氏の見解は、プレファブやツーバイフォーの経年劣化を甘く考え、伝統構法の経年劣化に厳しいように思われる。プレファブと伝統構法で同じ間取りの木造住宅を造り、20~30年後くらいに強度試験でもしないと答えは出ないのではないか。

地震に対し、建築は、「柔」でしのぐという考えと、「強度」で立ち向かうという考えがある。法律は、木造住宅に「強度」で立ち向かうことを要求し、だんだんその要求を強めている。

江戸時代や明治初期の民家の中にも、風雨や地震に耐えて今も現役の住宅として使われているものがある。コンクリートの基礎、筋交い、ボルトナット類を一切使わない木造住宅で、十分耐震性・免振性を満たすことが出来ると思われるが、もう日本では建てることが出来ないのか。日本に、本来の日本建築はもう建てられないのか。(伊藤)

伝統民家についての覚え書き・断熱

暑さ対策

カヤぶき民家であれば、カヤの断熱性は高い。だが、都市計画区域内でのカヤぶき住宅は不可。
瓦やトタンの屋根は、夏の直射日光に熱せられ、その熱で、室内も暑くなる。

合成樹脂やグラスウール、ロックウールなどの企業製品を使わない断熱についての覚え書き。

対策案

置屋根(おきやね)
置屋根は屋根の上にまた屋根を乗せる二重の屋根で、土蔵に使われている。テントのフライシートのようになり、間に空気が流れ、屋根裏に熱がこもるのを防ぐ。土蔵によく見られるが、住宅に使った例はあまり聞かない。
野地板を厚くすれば、さらに断熱効果が高まるだろう。

大和天井(やまとてんじょう)
西日本に見られる天井裏の断熱。天井裏にワラを敷き詰め、その上に土壁のように土を塗る。その重量を考えて設計する必要がある。置屋根と大和天井を合わせれば、そうとうの断熱効果が得られよう。

参考文献 安藤邦廣『住まいを四寸角で考える』[学芸出版社]

(伊藤)

就農への道・その1

私は建築の仕事をしていて、平日は普通に働いていますし、私の休日は子どもも休みです。小5と小3の息子、それと保育園児の娘がいますから、家はにぎやかですよ。にぎやかを通り越してかなり騒がしいときも多いです。
そういう日々の合間にこのブログを書いています。

「ジネント山里記」は個人の雑記です。絵も写真もありません(そういう余裕がないのです)。
いろんな話が出てくるし、カテゴリーに分類されていないし、読みにくい文章のときもあります。読み返すと、送り仮名や用語の不統一もけっこうあります。本からの引用も、記憶での引用が多いので、原文と微妙な食い違いもあろうかと思います。

そんな中で、就農準備です。今年中か、遅くとも来春の田植えまでは正式に農業者になろうと、行動を開始しました。
途中経過を何度かに分けて紹介しようと思います。農業に関心のある方のご参考になればと思います。

農業者(農家)というのは1つの資格です。趣味の家庭菜園ならともかく、一定の農作物を生産し出荷するというのは、資格がなければできません。親が農家なら、わりと簡単に農家になれるのですが、そうでない場合はそれなりの手続きが必要です。

「非農家出身者が農家になるのは、司法試験に受かるより難しい」と言っていた人がいました。「司法試験だって百人受ければ数人は合格するのに、サラリーマンなどやめて農家にでもなりたいと思う人が百人いても、本当になる人が1人いるだろうか」と言うのです。でも、それって、資格を得る難しさではなくて、勇気の問題だと思います。

法律は矛盾しています。農家でなければ、農地を買うことも借りることもできません。ところが農家になろうとすると、農業の実務経験を問われます。農地を買うことも借りることも出来ないのに、どうやって実務経験を積むのか? 矛盾です。ハウツーものの本など見ると「まず農業法人などに就職し、実務経験を積み・・・」なんて書いてありますが、田舎に農業法人なんてあまりないし、従業員の募集も聞いたことがないです。農業を学ぼうにも、家庭を持つ身では、農業大学校等に行くのも困難です。
それに、新規就農には原則として50アール(5反=1500坪)以上の農地が必要です。農家は世襲が原則で、そうでない人の入口はどこにあるのか、という感じです。

私は、昨年から、近所にお住まいの真壁(まかべ)さんという高齢の地主さんに、田んぼの一部を使わせていただいて「実務」を始めました。実質的には農地を借りているようなものですが、法的には「農業の手伝い」です。これなら違法にならず、実務にはなります。「真壁さんの御指導のもとで稲作の実務をしています」と言うことが出来ます。生産する米は自家消費分(飯米)と真壁さんにお渡しする米(俗に言う年貢)だけなので、金銭的な収益はなく、課税もないです。

次に農協に相談しました。農協の人は親身に話を聞いてくださり、町役場の担当者に連絡を入れてくれました。それで私は役場の農林担当者にお会いし、就農について相談し、手続きを伺いました。それから、役場の担当者に言われた通り、農業委員会に出向き、就農を希望する旨を申し上げ、合法的に農地を借りるため「農地法第3条の規定による許可申請書」を頂いてきました。

現時点は、そこまでです。

注意点を書きます。
新規就農には原則として50アール(5反=1500坪)以上の農地が必要です。これは借地でもいいです。
農業に対する意欲や実務経験が問われます。
兼業が禁止されているわけではありませんが、私の住む町では「会社員や団体職員などの身分のまま新規就農はできません」と言われました。社会保険・厚生年金等の加入者は会社員同等とみなされるとのことでした(全国的にそうなのかどうかはわかりません)。
なにより、農業は収入が低いので、低収入で生きていく覚悟が必要です。「就農し、収入は5分の1(あるいはそれ以下)になったけれど、今の方が何倍幸せかわからない」といった話をよく聞きます。何が人の幸せなのか、自分や配偶者を納得させる哲学が必要でしょう。(伊藤)