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祈ることの意味

神(あるいは仏)が存在するかどうか問われても、私は簡単に答えることはできません。だって問う人が、どのようなものとして神や仏を認識し、定義しているのか、わからないからです。
他国に攻撃をしかけるのを正当化する人たちが信じる「神」など、「信じなさい」と言われても、ごめんこうむりたいです。「信じなければ地獄に行く」と脅されたってごめんです。
でも、もしマザーテレサから「神を信じますか」と問われたら、私は「信じます」と答えたでしょう。

仮に「神も仏も存在しない」と仮定した場合、祈ることに意味はあるのでしょうか。
私は、おおいにある、と思います。
祈るのは、こうあってほしいとか、こうなりたいといった気持ちの表現であったり、人智を超えた存在への感謝や讃美であったりします。世界はこうあってほしい、自分はこうなりたい、自然の恵みはありがたい等々を言葉にすることで、自分の思いがどこにあるのかはっきりします。
そうした一人ひとりの思いが世の中をよりよくするのには何百年かかるかわかりませんけれど、それでも、大海も一滴一滴の集まりであるように、自分は小さくとも、自分の思いをはっきりさせるのは、おおいに意味があると思います。
だから、神(あるいは仏)が存在してもしなくても、祈ることに意味がある、と、私は考えるのです。(伊藤)

老いた資本主義、人間の悲鳴、そして

資本主義というものは、もともと人間の欲望をあおるシステムですが、最近は、特に、資本主義の劣化というか、老いを感じます。資本主義は、老いても好々爺にはなってくれません。老いても冷酷な守銭奴です。

資本主義はこれまで、あの手この手を使ってひたすら人間の欲望をあおり、人間のあくなき欲望を食物として肥え太り、それを顔に出さず、テレビのCMや新聞・雑誌の広告できれいで涼しい顔をして巧みに演出し宣伝してきました。でも、もうそれも、限界が近づいているようです。

地球環境もそうですが、生身の人間がもちません。人間が悲鳴をあげています。悲鳴が聞こえませんか?
お父さんは毎日帰りが遅い、へとへとだ。あるお父さんはリストラされて途方にくれている。お母さんも忙しくていつもイライラ。そこにまた資本主義が入り込む。やれ、栄養ドリンクだ、サプリメントだ、便利なスーパーのお惣菜だ、コンビニの弁当だ、宅配サービスだ、治安が悪くなってきたからセキュリティーサービスだ、それに子どもの教育だ、これからは便利で快適で安全性の高いオール電化の時代だ・・・・・。
いいかげんにしてほしいです。
日本では毎年3万人以上の人が自殺しているのに。
まるで何ごともないかように、きれいな覆いで、コーティングされて。
ひと皮めくると、苦しみあえぐ人たちの修羅場。

どんなにきれいで涼しい顔をして現れても、舞台裏で支えているのは生身の人間です。このシステムを今後も支えていこうとすれば、人間の体や精神がもたなくなるでしょう。体を壊すのが先か、精神を壊すのが先か。
労働環境だけでなく、地球環境も悪化して、それがまた人間の体と心を蝕んでいます。

「石油はまだ当分もつから大丈夫だろう」ですって?
石油があったって、生身の人間のほうがもちません。
それに、廃棄物の捨て場の枯渇です。地球は無限に広いわけではあるまいし、石油資源の枯渇より先に、石油を使い続けることによって生じる廃棄物(特に二酸化炭素)の捨て場が枯渇するでしょう。二酸化炭素等の廃棄物を地下深く埋めてしまおうとか宇宙に飛ばしてやろうといったナンセンスな主張は論外として(そのために一体どれほどのエネルギーを使うのか)、動力源や熱源を電気に替えようという声は高まるでしょう。石油エネルギーを電気に切り替えれば、放射性廃棄物の増加、原子力事故の多発などで、破綻はいっそう加速することでしょう。チェルノブイリは全人類の未来の前兆、とも言えます。

もう、やめましょう。
破綻は、たぶん、避けられません。破綻を超えるというのは、つまり、科学技術と資本主義に立脚した現在の産業文明システムそのものを超えるということです。

私は支持しませんが、左翼の人たちが言う階級闘争・暴力革命という考えもあります。
一口に暴力と言っても、正当防衛のやむを得ない抵抗が暴力的に見える場合もあるでしょうから、私は、単純に「すべての暴力を否定する」なんて言えません。
ただし、憎悪や復讐心をエネルギーにした暴力の場合、暴力をふるうことで、たとえ事態が改善されたかのように見えても、改善されたはずの新たな状況の中に暴力性が残るのではないか、と思うのです。
かつてのフランス革命や社会主義革命の原動力にしても、そのすべてではないにしろ、中に憎悪や復讐心もかなりあったのではないか、そしてその暴力性がその後に残ったのではないか、と思うのです。
困難な時代の中で社会の変革をめざした革命家の理想を正当に評価するのはやぶさかではありませんが、革命家は、虐げられた人民の憎悪や復讐心をあおり、戦いのエネルギーに使ってきたのではありませんか。その暴力性が後の社会に残ったのではありませんか。

これからの時代、場合によっては断固たる抵抗が必要になる場合もあるかもしれません。
また、抑えつけられてきた人たちがいよいよ我慢の限界に達し、マグマが地表を突き破って噴出するような事態になって、それが広範囲になればもう、既存の秩序では制御不能になるのかもしれません。
人々が立ち上がっても、意思統一の思想が見当たりません。今は、マルクス主義にそのような力はないし、何よりマルクス主義の誤謬は明らかです。
私が特に恐れるのは、ファシズム国家に収斂されることと、無政府状態になることです。
うまくこれらを避けても、そうとうの混乱は免れないでしょう。
たとえ、どのような時代を生きることになっても、私は憎悪や復讐心をエネルギーにした暴力の行使には反対だし、ずっと反対し続けます。(伊藤)

神谷美恵子批判に答えて

なんか、世の中、イライラした人が多くなって、とにかく人を責めたがり、当事者でもない人が誰かをヤリ玉にあげ、罵詈雑言を浴びせたりしていますから、私は、いや~な気持ちになります。

私が尊敬する神谷美恵子先生も、批判のヤリ玉にあげられている一人です。
批判は主に次のようなものです。

神谷美恵子は「らい予防法」に反対しなかった。この法律の人権上の問題に対する言及が全くない。
「らい予防法」に深く関わった医師・光田健輔(みつだけんすけ)氏を肯定的に評価し、批判的言及が全くない。だから、光田健輔氏による患者の断種や強制隔離の方針に手を貸したと言われても仕方がない。

まずは、新約の福音書に出てくるたとえ話の1つを聞いてください。

ある人(ユダヤ人)がエルサレムからエリコに下る道で強盗に襲われた。強盗たちは彼を殴って奪い、衣服を剥ぎ取って、大ケガを負わせて捨て去った。そこに(ユダヤ教の)レビ人や祭司が通りかかるが、見て見ぬふりをして行ってしまった。たまたま(ユダヤと対立していた)サマリヤ人が通りかかり、この人を見つけて気の毒に思い、応急手当をし、自分の家畜に乗せて宿屋に運び、宿の主人にお金を渡してこう言った。「これで介抱してください。足りなければ、帰りに私が払います」

イエスはこのたとえ話をして、強盗に襲われた人の隣人は誰かと問います。

神谷美恵子は精神科医でもありました。
ハンセン病と精神病を重複して患う人たちがいて、精神科の治療を受けられず、精神病が放置されているのを知り、黙っていられなくなったのです。
彼女は自ら希望して、精神科医としてハンセン病患者の施設に行くようになりました。
それが、そんなに悪いことなのでしょうか。
あのレビ人や祭司のように、見て見ぬふりをして、かかわらない方が良かったのでしょうか。
かかわった人が責められ、知らんぷりして何もしなかった人は責められない、それは、おかしくないですか。

上に要約したサマリヤ人のたとえ話で、もし強盗に襲われた人が助からなかったり、重い後遺症が残ったりしたら、助けたサマリヤ人が責められるのでしょうか。あなたの応急手当が悪かった、家畜の背中で揺られたのが悪かった、宿屋に運ぶのに手間どったのが悪かった、あなたが悪いんだ、ということになるのでしょうか。

神谷美恵子も生身の人間です。いくら能力の高い人とはいえ、すべての面で万能だったわけではありません。生身の人間としての限界があります。それに、みんなそうですが、彼女も時代の制約の中で生きた人です。今日の人権感覚に照らして過去を責めることが妥当なのかどうか。
彼女は「らい予防法」に反対しなかったというけれど、では当時のマスコミや社会一般は、はっきり「らい予防法」反対を主張しましたか? 光田健輔氏は「救らいの父」、「日本のシュバイツァー」と讃えられていたのですよ。
神谷美恵子は医師といっても精神科医であり、ハンセン病それ自体の研究や治療を専門にしていた医師ではありません。彼女は、自分にできることを、自分が生きた時代の状況の中で、黙々とやったのです。

神谷美恵子を責めるような風潮が広まれば、何も出来なくなります。人を助けようとすれば後から何か指摘され、責められるかも知れませんから、何もできません。
目の前で交通事故が起きようが、火事が起きようが、子どもが溺れようが、何もできません。「あなたの救助が悪いから助からなかったんだ」とか、「当時の災害救助体制や救急医療制度に欠陥があったのに、なぜ当時それを指摘しなかったのか」とか、責められるかも知れません。そうならぬようにするためには、あのレビ人や祭司のように知らんぷりするしかなくなります。
それで、よいのでしょうか。

助けようとしてかかわった人が責められ、知らんぷりして何もしなかった人は責められないというのはおかしいです。善意で行動した人が、時代の制約やその人自身の限界などによって後から責められる、そんな世の中は、いやです。

例の「自己責任」論もそう。
米軍のイラク侵攻で苦しむイラクの人たちがいて、見かねた日本の民間人が現地に行って運悪く人質にされ、当人たちや家族がマスコミやネットで袋叩きにされました。
イラク人のために何もしなかった人は何も言われません。行動した人たちと家族がひどく責めたてられたのです。それで、よいのでしょうか。(伊藤)

付記:2018年1月

上記は、書いた時点での私の思いです。

今読むと恥ずかしいような箇所もありますが、当時の私の素朴な思いを書いたもので、そのままにしてあります。

その後、いろいろ考えました。是非こちらもお読みください。

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/07/post-95b3.html(ハンセン病への「空気」と「牧人権力」 武田徹『「隔離」という病い』に思う 2017-07-24 )

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/08/post-56d1.html(聖書とハンセン病(思いの断片)2017-08-10)

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/08/post-afa8.html(聖書とハンセン病(思いの断片)その2 2017-08-17)

タネモミを蒔きました

苗箱に、タネモミを蒔きました。
準備は3月の後半からしていました。

温湯(おんとう)消毒、塩選(えんせん)、浸種(しんしゅ)、促芽(さいが)、そして播種(はしゅ)という作業の流れです。それにしても、農業用語って難しいです。(今はだいぶ慣れましたが、去年稲作を始めたばかりの頃、近所の人から「エンセンやったか?」なんていきなり聞かれても何のことだかさっぱりわかりませんでした。)

モミ袋ごと60度のお湯に5分~10分浸けて消毒し、すぐ冷水で冷やす(温湯)
卵が浮くくらいの塩水に浸けて選別し、沈んだモミだけ使用(塩選)
塩をよく洗い流して水に浸けておき、発芽を妨げる物質を除去し吸水させる(浸種)
30度くらいに加温して少し発芽させる(促芽)
それでやっと、種蒔き(播種)です。

めんどうなようだけれど、播種以外は家庭のお風呂場でできる作業です。
稲は、長い歴史の中で、人間が栽培することを前提に生きてきた植物なので、自力では自生できないみたいです。

無事に播種まで済ませましたが、一つ心配なのは稲の病気です。なるべく農薬は減らしたいです。でもそうすると今度は稲の病気が心配になってきます。万一被害が出た場合、自分がやっている田んぼだけで済めばともかく、まわりの田んぼに病原体や害虫を撒き散らしてしまうかもしれず、そんなことになったらお詫びのしようもありません。
無農薬が望ましいとわかっていても、そのあたりにも難しさがあります。

人間、どう生きたって、なにか矛盾はかかえるようです。
でも、百パーセント理想どおりにはいかなくとも、都会で暮らした頃に比べれば、田舎の方がずっとストレスが少ないし、毎日が楽しいです。(伊藤)

ちょうどいい季節

今日は久しぶりの雨。
雪もすっかりとけて、畑には恵みの雨です。

家の周りの山桜が咲き始めました。花と新緑が雨に光っています。素敵な4月!

愛知県に住んでいた頃、冬がいつの間にか春になる感じで、それはそれで悪くなかったのですが、北国育ちの私には冬と春との境目がよくわかりませんでした。東京で暮らし始めたら、冬がいきなり夏になるような感じで、春の短さに驚きました。だって、きのうまで暖房をかけていたのが今日から冷房になるみたいな状態で、ちょうどいい季節が短いのです。秋もそう、きのうまで冷房で今日から暖房みたいな感じでした。

北国の山里で暮らすようになってうれしいことの一つは、ちょうどいい季節が長いことです。真夏でも冷房はいりません。窓を開けてさわやかな風を感じる季節が長いです。夏が来ても、山間部ですし、緑も多いので、吹く風がさわやかです。

田んぼが始まるまでの間は、間伐材や倒木を切って焚き物の準備です。1尺くらいの長さにして軒下に積み、秋まで乾かします。それと、今、ニワトリ小屋を作っています。はい、私、伊藤建築士の設計です。以前もらって来た鶏小屋はかなりガタがきていたので作りなおすことにしました。ちなみに施工も私です。あとは、ほだ木を用意して、自家用のシイタケ栽培を試みています。どうなるか、秋が楽しみです。近況はそんなところです。(伊藤)

復活

「わずか何十万かそこいらの人間が一つの小さな場所に集まって、押し合いへし合いしながら、その土地を醜い畸形にしようといかに骨をおったところで、また地面に何ひとつはやさないようにと、どんなに石を敷きつめてみたところで、石炭や石油の煤でどんなに燻したところで、またどのように木の枝を刈り込み、鳥や獣を追っ払ってみたところで、---春は要するに春である。」(トルストイ『復活』米川正夫訳より)

さすがは世界の文豪トルストイ。自然の大いなる力の前で、人為的な行為の数々がいかにちっぽけなものかよくわかっていたようです。『復活』が発表されたのは今から百年くらい前ですが、そんな頃に、すでに。

仕事で寒河江(さがえ)に行ったら桜が咲いていました。山里もだいぶ暖かくなってきたので、もうすぐ家のまわりでも咲くでしょう。窓を開けて、気持ちのいい風を感じています。
私たちが暮らす山形県村山地方の山里は、冬には家の1階が埋まってしまうほど雪が降ります。あたりは一面の雪原となり、死んだような風景になるのですが、ちょうど今頃、これまでの風景が一変し、花は咲き草は萌え、いきいきとした生の風景に転じるのです。北国の春は「死と復活」という壮大なテーマが実感できる光景です。(伊藤)

あなたは代わってくださったのだ

インターネットの普及には良し悪し両面ありますが、今やネットは世界に広がり、日本の新聞や雑誌が載せない写真も見ることのできる時代になりました。
以前、海外のあるホームページで、戦争で殺された子どもの写真を見ました。うちの子どもたちより小さい子どもでした。残酷でした。
一瞬ぎょっとして、次の瞬間、私の頭に、若き前田美恵子(後の神谷美恵子)の言葉が浮かんできました。

「何故私たちでなくてあなたが?
あなたは代わってくださったのだ」

この言葉、前にも引用しましたが、20代だった前田美恵子がハンセン病患者施設を訪れた後、そのときのことを思って作った「癩者に」という詩の中に出てきます。戦時下の1943年の作品で、「癩(らい)」は当時の表現です。
ハンセン病は今では薬で完治する病気ですが、かつては不治の病のように思われていました。
病気と武力攻撃による犠牲は違いますが、なぜ私たちでなくあなたがそういう目に遭わなければならなかったのか、という問いは共通です。
自分は病気にならなかった、その時代のその国に生まれなかった。それは自分の努力でも何でもなくて、たまたまです。ひどい目に遭った人も、何かその人に落ち度があったわけではなく、たまたまです。もし、何かちょっと事情が違っていたら、自分がうんとひどい目に遭っていたかもしれません。

遺体の写真に手を合わせながら、
「何故私たちでなくてあなたが?」
と、私は問いました。

前田美恵子ならきっと同じように答えたでしょう。
「あなたは代わってくださったのだ」
と。(伊藤)

悔いのない人生をおくりたい

以前、IT長者とされる某氏が「金で買えないものはない。人の心も金で買える」と豪語して話題になったことがありました。そんな言葉が話題になっても正面から反論する人は少なく、この日本では、お金のある側の言い分に反論できないのかと、ちょっと悲しくなりました。
私は、エリザベス・キューブラー・ロスの言葉を引用して次のように書きました。今も、私の気持ちは変わりません。同じことをもう1度ここに書きます。

自分自身の声に耳をかたむけることよりも、人からどう評価されるかを価値基準にし、愛を買おうとするような考えに対し、キューブラ・ロスはこう言います。
「愛を買おうと思って、彼らは一生うろうろ探し回ります。でも、愛は見つからない。真の愛は買えないからです。そういう人たちは死の床で悲しそうに私に言います。「私はいい暮らしをしてきました。でも本当には生きてきませんでした」。私が「本当に生きるってどういうことですか」と聞くと、こう答えるのです。「私は弁護士として(あるいは医者として)成功しました。でもじつは大工になりたかったんです」。」(鈴木晶訳『「死ぬ瞬間」と臨死体験』94頁)
この人がどうすればよかったのか、答えは出ています。大工になればよかったのです。気の毒に、自分の希望より、いい暮らしや人の評価を優先させてしまったのです。
また、こんなことも言っています。
「人生は短いのですから、結局のところは、自分が本当にやりたいことをやったらいいのです。(中略)そんなことをしたら貧乏になるかもしれない、車を手放すことになるかもしれない、狭い家に引っ越さなくてはならないかもしれない。でもその代わり、全身全霊で生きることができるのです。世を去るときが近づいたとき、自分の人生を祝福することができるでしょう。」(同書84頁)
実は、キューブラ・ロスのこうした言葉も、私たちが山里暮らしに向かってゆく背中をおしてくれました。(ジネント山里記 2006.1.30)

私の気持ちは変わりません。
世の富、世の権、世の誉を求める人が多いのですが、いろいろ見てきた私には、そうしたものが虚しく思えるのです。
そんなことより、本当に生きたい、悔いのない人生をおくりたい、「世を去るときが近づいたとき、自分の人生を祝福することができる」、そんな人生をおくりたいと思います。

山里は梅が咲き始めました。もうすぐ桜も咲くでしょう。いい季節が来ます。経済が良かろうが悪かろうが、何の関わりもなくいい季節が来ます。(伊藤)