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近況

東北も暑くなってきました。今年はカラ梅雨で、先週までずっと日照りが続いていました。集落の湧き水も涸れてしまい、わが家の少し上に住むおばあちゃんが、「こんな日照りは私がここに嫁いできて以来初めてだ」と言うくらいの乾きでした。うちの菜園で元気なのはキュウリだけで、コマツナは弱り果て、ナスもジャガイモも丘ヒジキも食用菊も元気がありません。今週になってようやく少し雨が降り、ひと安心しているところですが、もう少し雨が欲しいところです。
街のスーパーに行くと各種の野菜が並んでいます。散水しているか、何か特殊な方法で栽培しているのでしょう。山里で暮すようになり、気候の変化に敏感になりました。また、食の安全についての意識も高まってきました。この時期の葉野菜に虫食いの穴一つないのはあまりに不自然で、スーパーに並ぶきれいな野菜を見ても、買って食べたいと思わなくなりました。

隣町の父の家から蚊帳(かや)をもらってきました。私の幼年時代に使っていた蚊帳で、緑色の麻製で、赤い縁取りがあり、ふさのついた吊り金具がついています。たぶん昭和30年代のものだと思います。少し補修し、実用に使い始めました。いやー、山里の古民家に蚊帳はよく似合います。子どもたちも大喜びです。
最近は、除虫菊を使った蚊取り線香も見直されてきており、わが家でも、蚊帳と併用して使っています。数年前まで、合成の殺虫成分を使わない除虫菊の蚊取り線香は、自然食品販売店や一部の生協などでしか買えなかったのですが、近年、一般のホームセンターや薬局などでも扱うところが増えており、古くからの天然素材のものが再評価されているようです。
ちなみにわが家では、ハエ取り紙も実用に使っています。(伊藤)

ひと雨ほしいところです

つれ合いの体調が少しずつ落ちついてきました。
私も、ひと安心です。
励ましのメッセージ、ありがとうございました。

梅雨入りしたとはいえ、今年は雨が少なくて、畑の土が乾き気味です。近所の農家の人たちは、ひと雨ほしいと言っています。わが家の菜園はわざと雑草を残し草マルチをしているので、雑草や草マルチが朝露を蓄えてくれるし、土の表面が直射日光に曝されるのを防いでくれるみたいで、それほど乾いておりません。でも、日照り続きで作物は伸びられず、やはりひと雨ほしいところです。

自然農法は、不耕起、不除草、無施肥、無農薬と言われますが、私が今やっているのは、ほぼ不耕起。除草剤は一切使わず、雑草の根も抜かず、鎌で刈るだけ(例外はツル性の雑草で、作物に絡むので抜いています)。化学肥料は一切使わず、米ヌカや自家製の完熟堆肥を少しやるくらいです。これも、やりすぎないよう気をつけています。たとえ安全な有機肥料であっても、肥料のやりすぎは病気や虫害を招くといいます。人間も食べ過ぎれば肥満や生活習慣病になるのと同じです。もちろん、農薬は一切使ったことがありません。化学合成の農薬だけでなく、天然成分の農薬や農薬に類するものも使っておりません。天然成分であれ何であれ、健康な人に薬はいらないように、健康な作物に薬はいらないと思うからです。たとえ天然農薬であっても、弱い作物を薬の力で生かして食べるのが健康的な食べ方だろうかと、思うのです。
まあ、そうは思っても、市販のものも食べてますから、理想と現実にズレもありまが・・・・・。

最近は、愛車ジープの幌をはずし、オープンカーで通勤しています。風の匂いを感じながら山の道を走るのはいいものです。野山では、野ばらが白くて小さな花を咲かせています。あちらこちらで、栗の花が独特の匂いを漂わせています。かわいらしいリスが走っていくのを見かけることもあります。

日が長いので、明るいうちに帰宅する日が多く、子どもたちと菜園に行ったり付近を散歩したりするのが日課です。昼間は暑くとも、山里に帰れば空気がいいし、朝夕涼しいので過ごしやすいです。(伊藤)

懐妊、そして

tsukaharaさん、さっそくのコメントありがとうございました。
意外な方からメールを頂いたりもしてまして、この場で感謝申し上げます。
山形も梅雨入りし、うっとうしい季節が来ましたが、もうしばらく、がんばってみます。

つれ合いが横になって休んでいると、長男と次男の会話が聞こえてきます。
「兄ちゃん、ママがカメさんみたいに丸くなってるよ。ママ死ぬの?」
「馬鹿! ママが死ぬわけないだろう。かたまってるだけだ」
子どもなりに心配しているようです。

地域のお祭りがあり、たまたま、わが家が属する隣組が当番で、つれ合いの懐妊の話は近所に広まりました。
近所のお婆ちゃんたちは、「だんなさん、奥さんを大事にしてやってよ」と声をかけてくれます。
変に気を使うことのない素朴な日常はいいものです。これで近所に子どもが多ければ言うことなしなんですけれど・・・・・。

全国的に少子化の流れは止まらず、特に都市部では顕著だと報じられておりますが、それは、産業化が生活の隅々に及んで人を支配するようになった時代の当然の結果と言えるでしょう。昔と違って「お互いさま」の意識が薄れ、人のつながりも希薄化しています。そういう中で、子どもを育てるのは大変です。今では育児も様変わりし、昔なら地域が共同でやっていたことも、行政や業者のサービスを頼んだり、メーカーの物品を購入して対応したりする方向に変化し、お金がかかる、時間がない、お金がかかる、時間がない、世の中に広くイライラが蔓延、という感じです。
世の中は進歩したと言われますが、それで人は幸せになったのでしょうか? 私はずっと、素朴な疑問をいだき続けてきました。

私たち夫婦は、開発と消費を中心とした産業社会に少し距離をおき、自然や人とのかかわりを求めてこの山里に引越して来ました。ここには、昔なつかしいような「遅れた暮らし」が残っています。高齢者の多い小さな集落ですが、ここで私たちは、町や集落や、ご近所に助けられながら暮しています。(伊藤)

懐妊・・・・

しばらく書き込みを御無沙汰していましたが、実は、つれ合いの懐妊が明らかになりました。
この冬には3人目が誕生する予定です。まあ、それは、めでたいことなんですが、つわりがひどくて・・・・・。
つわりというのは、男性の私には生涯経験しようのないことですが、当人はけっこうしんどいようです。
私も、仕事をなるべく早めに切り上げて帰宅するようにしていますが、それから子どもたちの相手をし、食事のしたくや後片付け、お風呂、その他いろいろな家事を手伝うと、疲れちゃいまして、2人ともぐったりしてしまいます。
私もつれ合いも、じねんと生きる方針ですが、お読みの方、何かアドバイスがありましたら、メールかコメントで御教示いただければ幸いです。コメントの場合はアドレス省略でかまいませんし、ペンネームでもけっこうです。(伊藤)

闘うから闘いになる

きのうの雨が嘘のような快晴で、暑いくらいになりました。。
今朝も、いつものように朝5時に起きて、家のまわりの草刈りをしてきました。わが家の不耕起の家庭菜園では、5月の休みに植えたジャガイモが元気に芽を出して育っています。ナスやトマトの花も咲きました。先週播いたコマツナが芽を出し、かわいい双葉を広げています。

雨がいちばんの肥料だと言っていた人がいましたが、たしかに雨が降り気温が上がれば植物はいきいきしてきます。畑の作物は元気になり、雑草もよく育ちます。私は、考えあって、雑草は鎌で刈るくらいであまり根を抜いたりはしません。

冬は雪との闘いだ、とか、夏は草との闘いだ、とか、言う人もいます。そう言いたくなる気持もわかるのですが、闘うから闘いになるのではないかと思えるのです。
除雪は大変な作業ですが、カンジキで雪の上を歩くのは、それほど大変ではありません。雪おろしも大変ですが、わが家のように屋根の雪が引力で自然落下するようにしておけば、おろす必要はありません。自然落下の雪で1階が埋まってしまいますが、そのときは2階から出入りすればいいだけの話です。
草もそうです。畑に草があれば保湿になるし、雨が降っても泥はねや土の流出がおきません。草を抜かずに刈るだけにして、刈った草を畝(うね)や畝間に敷いておけば自然のマルチになり、やがては分解して肥料になります。ビニールのマルチのようにお金もかからず、あとから除去する手間もありません。私が思うにいいことだけですが、こんな畑のやり方は、たぶん、非常に少数派でしょう。
農協の指導員さんたちの中には「雑草も枯れ草も害虫の住み家になるから、雑草はまめに抜くか除草剤を撒くかし、草や作物の残渣(ざんさ)は、すぐに畑から撤去しないといけない」とおっしゃる方が多いのです。私がやっていることと正反対ですが、指導員の言い分は化学農法の発想で、それはそれで理屈のあることですから、私は反論しません。けれど、私としては、家庭菜園にまで化学農法を持ち込みたくないのです。
雑草や枯れ草は害虫の住み家といいますが、益虫の住み家にもなるので、実は均衡がとれて、害虫か益虫か分類することにあまり意味がなくなります。この山里に引っ越してくる前の私の経験でもそうですが、畑を不耕起にし、草を抜かずに鎌で刈るだけにしておけば、特定の害虫が増えることはなく、農薬は一切必要ありません。だんだんに土も肥え、肥料もほとんどいらなくなります。(例えば、徳野雅仁著『完全版 農薬を使わない野菜づくり』[洋泉社]参照。不耕起栽培についてはいろいろな本がありますが、先駆的なものとして福岡正信『わら一本の革命』[春秋社]が有名。)
不耕起というと、土が固くなるのではないかとイメージする人がいますが、逆です。不耕起・草マルチを続けると、腐植が多くなり、ミミズが増え、野原の土のように柔らかくなります。排水も保湿もよく、適当に粘りもあるいい土になるのです。いい土を人工的に作るのは大変でしょうが、自然に任せれば簡単に出来るのです。
では、なぜプロ農家はそうしないのでしょうか。プロ農家の場合、作物の均一性や供給の安定性を求められるので、どうしても工業的な化学農法になるのだろうと思います。それは農家が悪いのではなくて、消費者のほうが均一な形の農産物の安定した供給を求める結果なのでしょう。化学薬品や工業機械を使いだした農業は、どこまでもその方向で進んでいくしかないようです。そうして、雑草や害虫を相手に化学や機械の力で闘うわけです。はじめから闘わなければ闘いにならないのに。
繰り返しますが、農家が悪いのではありません。農家は消費者の求めに応じ、大変な中で一生懸命やっているんです。今の世の中、農業もまた産業であり、工業に類した生産活動のひとつです。他の産業と同じで、もう、自然界の中での循環の環を持続させる営みから離れてきました。農薬も化学肥料も、農業資材、農機具、燃料等々も、みんな工業製品で、未来永劫持続する循環の中にありません。

じねんと生きようとする私は、無精者に見えるかも知れません。でも、私は、自然を相手に闘うことをやめただけです。闘うから闘いになるし、闘いだせばどこまでも闘い続けないといけなくなりますから。

じねんと、じねんと。そんなに急いでどこへ行く。(伊藤)