« 2011年5月 | メイン | 2011年7月 »

「高木仁三郎が生きていたら」

「高木仁三郎が生きていたら」というコラムが朝日新聞に載りました。
筆者は高重治香記者で、6月22日の文化面です(日付は山形県内で配達された版)。

引用開始
 生きていたら何と言ったか--。原発事故の後、故高木仁三郎を思い出した人は多いだろう。
 企業や大学での地位を捨て、反原発の立場から、市民のための調査機関や運動を率いた在野の核科学者。2000年、がんのため62歳で亡くなった。
 「生きていたら」の答えを求めるかのように、著作が売れている。
(略)現在も通用する解説、「原子力村」にくみせず命を守る側に立った生き様が、読者をひきつけるのだろう。
引用終了

高重氏は、、
『原発事故はなぜくりかえすのか』[岩波新書]
『食卓にあがった放射能』[七つ森書館]
『市民科学者として生きる』[岩波新書]
といった高木仁三郎の著書を挙げています。

震災の日の夜、停電した家の中で、福島第一原発の事故のニュースをラジオで聞きながら、私は、
「やはり原発事故が起きてしまったのか。もし高木仁三郎先生が生きておられたら、何ておっしゃったろう?」
と思いました。
私も、「原発事故の後、故高木仁三郎を思い出した人」の一人です。

高木仁三郎は20世紀の日本の良心だと思います。
没後10年以上経っても、著書はちっとも色あせた感じがしません。今も、指摘が一つ一つ当たっているからでしょう。(前掲書のほか、『原子力神話からの解放』[光文社、のち講談社+α文庫]など)

高木仁三郎は1938年、群馬県前橋市に生まれました。
東京大学理学部化学科出身です。
理学博士(東京大学)で、専門は核化学でした。
日本における原子力事業実用化の黎明期であった1961年から、日本原子力事業(三井系の企業、のちに東芝に吸収)に勤務し、原子炉内で生成される放射性物質の研究に従事しました。
1965年に東京大学原子核研究所助手となり、核化学の研究で成果をあげました。
1969年、若くして東京都立大学助教授に就任しました。
1972年にドイツに渡り、マックスプランク核物理研究所でさらに研究に従事しました。

要するに、原子力研究のエリートでした。
企業で働いても、大学で働いても、どちらを選んでも将来を約束された人でした。
ところが氏は、1973年、止める声を振り切って都立大学を辞し、在野の人になりました。

専門の研究者でしたから、原子力が如何なるものかよくわかっていたのでしょう。氏は、安定した収入や社会的地位より、自らの良心を優先し、原子力利用には多くの限界があり、重大な危険性があることを社会に訴えることで、研究に携わって事実を知り得た科学者としての良心を貫き、責任を果たそうとしたのでしょう。

その後、氏は一貫して、亡くなるまで反原発を訴え続けました。

高重治香記者は、氏の生前の言葉を引用しながら、「高木仁三郎が生きていたら」をこう結んでいます。

引用開始
 亡くなる前年、1度だけ話を聞いた。(略)
 「今の世の中は矛盾の固まりのようなところで生きるしかなく、きれいに生きるなどまずできない。大切なのは、矛盾の中で生きていると意識すること。だからといって諦めるのではなく、逆バネにするのです」
 「生きていたら」の答えは、矛盾を引き受けて私たちが作るしかない。
引用終了
(伊藤一滴)

『それでも人生にイエスと言う』読了

フランクル著『それでも人生にイエスと言う』を読み終えました。

今日の山形県はかなり蒸し暑いのですが、私の頭はすっきりです。

人生の意味とは?、苦難の意味とは?、と、問うてばかりいたから、私にはわからなかったのです。
苦難も含めた人生が、私たちに問うている、問題を提起しているのだと、ひっくり返して考えればすっきりするのです。
私たちは、その問いに答え、責任を持って行動しなければならない、ということなのです。

次回、まさに良心に従って答え、責任を持って行動した人物として、高木仁三郎氏のことを書こうと思います。

残った課題もあります。

どんなに苦しい目にあっても、自分の人生にはイエスと言えるのかもしれません。しかし、先にも書いたとおり、他者の人生にもイエスと言えるのだろうか、という疑問は、やはり残ります。

人は日々、決断の状況にあるのでしょう。決断に対して責任がある、というのもわかります。ただ、人の状況はさまざまですから、本人の責任とは言えないことで決断できない状態になってしまったときに、それでも人生にイエスと言えるのか、という疑問も残ります。

「自殺は無意味」という話も出てきます。
一般論としては、「何があっても自殺すべきではない」というのが大原則だと私も思います。
ただし、自殺といっても、これもいろいろな状況があるでしょう。理不尽な要求を突きつけてくる人たちへの抗議の自殺とか、自分の側に落ち度がないのに追い詰められたり、精神を病んだりしての自殺もあるでしょう。だから、すべての自殺を同列に論ずることはできませんし、自殺者や遺族を責めることもできません。
人生を学校にたとえるなら、自殺は課程を終えずに中退するようなもの、ともいえますが、中退に至る事情はさまざまでしょう。
自殺というものをどう考えるべきか、これも課題として残ります。

次回も書こうと思いますが、世の中は矛盾に満ちています。私も、矛盾を承知で行動し、生きています。不完全なこの世の現実の中ではやむを得ないのかもしれません。地球環境のことを考えれば原子力はもちろん石油も使わないほうがいいのでしょう。しかし、それでは、現状では生活がなりたちません。良心に従いながら、かつ、どのあたりで折り合いをつけるのか、それも課題です。
(伊藤一滴)

『それでも人生にイエスと言う』読書中3

晴耕雨読と言いますが、本当に雨続きで農作業が進まず、週末は家で読書にふけっていました。
『それでも人生にイエスと言う』をゆっくりと読んでいて、3つの講演のうちの第2の講演「病いを超えて」まで、ようやく読み終えました。

妻はもう『夜と霧・新版』を全部読み終えていて、『それでも人生にイエスと言う』を早く読みたがっているのですが、「もうちょっと待ってよー」と言って借りてます。

「死は生きる意味の一部」だという思いは、ますます深まっています。こんなことを言うと誤解される場合もあるかも知れませんが、病苦や病死も含めて、「苦難と死こそが人生を意味のあるものにする」というフランクルの指摘は、たぶん、正しいのでしょう。
私は、アシジの聖者フランシスコを思いました。
フランシスコが「太陽と月」を兄弟姉妹と呼んだのは有名ですが、彼は「病と死」も兄弟姉妹と呼んで受け入れています。

「苦難の意味」について思うことをこれまでこのブログにも何度か書きました。「苦難の意味」は、私がまだ20歳そこそこの福祉学生だった頃からの疑問でした。
「なぜ、耐え難い苦難がこの世にあるのか」
この問いは、解法の糸口さえつかめない課題として、私の前にありました。

今、フランクルの『それでも人生にイエスと言う』を読みながら思ったのです。
「生きる意味は、問うものではなく、人生から問われるもの」とありますが、これは「苦難の意味」にも当てはまるのでないかと。
つまり、「苦難の意味は、問うものではなく、人生から問われるものではないか」と。

苦難の状況で、あなたはどう答えるのか、他者の苦難を目の当たりにして、あなたはどう答え、どのような行動で応えてゆくのか、と。
私たちは、そのように、常に問われているのではないかと思えてきたのです。

やはり、「生きるとは、問われていること、答えること--自分自身の人生に責任をもつこと」なのでしょう。
「人生の道は、「唯一の」目的地に着く「一度きりの」道」であり、最期の最期までチャンスはあるのです。
そのように考えれば、ほぼ、納得がいくのです。
(伊藤一滴)

『それでも人生にイエスと言う』読書中2

『それでも人生にイエスと言う』に収められた3つの講演のうちの第1の講演「生きる意味と価値」を読み終えました。

世には、死んだらおしまいだという誤解が多いのですが、フランクルは「死は生きる意味の一部」だと言います。「苦難と死こそが人生を意味のあるものにする」とまで言います。
私自身に対しては、まあ、そのように考えてみるにしても、人の人生にもそう言えるのか、過酷な状況の中で生きて死んだ他者にも全てそう言えるのか、という疑問は残ります。これから、先を読んでみますけれど。

フランクルの言う、生きる「意味」はこうです。
生きる意味は、問うものではなく、人生から問われるもの。
生きるとは、問われていること、答えること--自分自身の人生に責任をもつこと。

生きる「価値」はこうです。ヘッベルの言葉からの引用だそうです。
「人生それ自体がなにかであるのではなく、
 人生はなにかをする機会である!」

人生の道は、「唯一の」目的地に着く「一度きりの」道なのだといいます。
(伊藤一滴)

『それでも人生にイエスと言う』読書中

昨日までカンカン照りでやたら暑く、今日の未明からずっと大雨。
わずか数週間で急に暑くなりました。東北も梅雨入りです。

妻が
「注文したい本があるんだけど・・・・」
と言うので、
「僕も注文したい本があるから町に出たときに一緒に頼んでくるよ」
と題名を訊いてびっくり! フランクル著『それでも人生にイエスと言う』[春秋社]と『夜と霧・新版』[みすず書房]だというのです。それって、私が注文しようとしていた2冊の本でしたから。

夫婦は発想が似てくるのか、似ているから夫婦になったのか、どっちが先だかわかりませんが。
震災や原発事故があって、フランクルの著作が注目されているようです。朝日新聞も取り上げていましたし。

町の書店に頼んだら数日で入荷になり、私が先に『それでも人生にイエスと言う』を、妻が先に『夜と霧・新版』を読書中です。

フランクルは、20世紀の良心の一人と言えるでしょう。過酷な目に遭いながらも長生きした人ですが、生まれ育った時代は、これも戦前の良心と言えるシモーヌ・ヴェーユとほぼ重なります(フランクルは1905年、ヴェーユは09年生まれです)。どちらもユダヤ系なのは偶然なのか、あるいは、迫害の歴史を背負うユダヤ民族の生まれ故に精神が研ぎ澄まされていったのか・・・・。第二次大戦中のヴェーユの夭折が惜しまれますが。

『それでも人生にイエスと言う』を読みながら、人生とは学校のようなレッスンの場(エリザベス・キューブラー・ロス)という思いを深めています。
世間には思い違いが多いようですが、学校は通過点で、卒業、つまり人生の修了が、死です。(人生の「終了」ではなくて、「修了」です。「死んだら終わり」という誤解が多いですが。)
学校で楽なことばかりしていたら、何も身につかず、つまらない人生になってしまうことでしょう。
悔いのない卒業の日を迎えたいです。

「人生の意味を問う」とよく言われますが、実はこっちが人生から問われているのだとフランクルは言います。日々、問われています。大きいことから小さいことまで、どう決断し、どう行動するか問われます。人生とは、問いに答えることだというのです。
フランクル、すごいです。

急いで読むのが惜しくて、じっくり、じっくり、読んでます。
まだ読み始めですが、読み終えたら、また思ったことを書いてみようと思います。
(伊藤一滴)

それでも、未来の希望へ

2年前「老いた資本主義、人間の悲鳴、そして」という題で、こんなことを書きました。
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2009/04/post-b9db.html

資本主義という制度のゆえに発生した問題への対処に、また資本主義が入りこむ。しかし、無限には続きません。
未来に亘って科学技術を「進歩」させ、資本主義を「発展」させようとするなら、資源、環境、なにより人間がもちこたえられなくなるでしょう。
科学技術に立脚した資本主義という制度そのものが、もう限界に近づいているのではないか、という思いで書きました。

2年前のこのブログ記事に「チェルノブイリは全人類の未来の前兆」と書きました。心の中ではかなり前から思っていたことでした。今、事態は、私が以前から心配していた方向へと向かっているようです。

未来の予想もできます。
日本経済の破綻、超インフレ、食料不足、物不足、そして、世界全体での資本主義の終焉です。

誤解のないように言いますが、私は社会主義を支持して資本主義を批判しているのではありません。社会主義は持続しないシステムであり、滅ぶべくして滅びました。一般に、社会主義と資本主義は正反対のように思われていますが、どちらも科学技術に立脚し、産業を発展させて生産の拡大を図る近代思想であり、兄弟のようなものです。

遠からず、現代の産業文明の終わりの日が来るでしょう。
その先を生きるためには、産業文明のシステムそのものを超える必要があるのでしょう。

希望は、無ではありません。未来の可能性を信じたいと思います。言うまでもありませんが、この可能性とは、さらに「進歩」「発展」が進んで問題が解決するといった可能性ではなく、産業文明に頼らずに未来を生きる可能性です。太古の昔から私たちの祖父母の頃まで、人類はそうして生きていたのですから。
社会主義はほとんど滅び、資本主義は、今、滅びの途上にあるようです。

原子力は駄目だから自然エネルギーに切り替えればよい、といった話ではないのです。化石燃料はもちろん、水力、風力、潮力、地熱、太陽光その他の自然エネルギーであっても、これを広範囲に大量使用し続ければ大きな環境破壊を招くことでしょう。エネルギー源それ自体は自然のものでも、人間が使う電力などのエネルギーにするためには装置が必要です。その装置の製造、運搬、取付、稼動、維持管理、耐用期限後のリサイクルや廃棄、といったことには、手間はもちろん、それ相応の資源・エネルギーが必要で、それ相応の環境に対する負担となります。これを、過小評価すべきではありません。(原子力発電は、長期に亘る総合的な検討をしないまま見切り発進した代表例のようです。)

必要以上の便利さや快適さを求め、未来を考えずに無駄なものを大量に作り出し大量に売り続けることで成り立つ資本主義のシステムを改めなければ変わりません。資本主義に限らず、生産力の無限の拡大などありえないと知るべきです。
エネルギーの使用それ自体を縮小させ、かつ、みんなが生きていける未来を求めないと、未来に大きな負担を残すことになるでしょう。
私は今、産業文明の後に来る時代への対応を考えています。
(伊藤一滴)

『愛しの座敷わらし』を読みながら田舎暮しを考える

今年も田植えをしました。
毎年、ほぼ同じような営みが繰り返されます。私は、それでいいと思います。
ひたすら、発展だの進歩だのを求め、絶え間なく変化し続ける世の中には、もう新鮮さも感じられず、疲れを感じるだけです。

萩原浩著『愛しの座敷わらし』[朝日文庫]を読んでます。
おもしろいです。
ネット上にもたくさんの書評が載っているので、解説めいたことはそちらに譲りますが、田舎暮しをしている人や、田舎暮しを目ざしている人にはお勧めの本です。
転勤(左遷)で、東京から東北らしき田舎に引越してきた家族が、古民家に暮し、座敷わらしに出会い、それぞれに抱えていた問題を乗り越えながら家族の絆を回復してゆく物語です。読んでおもしろいし、心に響いてくるものがあります。

私も、まさに東北の田舎に住み、一家で古民家暮らしをしていますが、この本には田舎の雰囲気、古民家の雰囲気がうまく描かれていまして、うなづきながら読みました。
私は、座敷わらしに会ったことがありませんが、座敷わらしでも出てきそうな雰囲気は、我が家にも近隣の家にもあります。まあ、萩原浩氏が描くような座敷わらしであれば、いてもいいかな、と思います。

田舎暮しに批判的な人もいます。農山村ブームの行き過ぎへのブレーキというか、批判的視点もある程度は必要でしょう。批判のすべてが的外れとも言えません。でも、批判的な人が書いた文章を読むと、どこか田舎を蔑み、田舎の人を見下しているような表現を感じることがあります。「私は高い教育を受けた人間だ、だから、何もわかっていない田舎の人たちに教えてあげないと・・・・」みたいな。
そのような思いが態度に表われ、もともと住んでいる人たちに嫌がられて、その結果、田舎暮しに批判的な意見を言うようになったのだろうかと思えることもあります。

都会の人が思っている以上に、田舎の人はものを知っています。
思考力や判断力は、都市の人が高くて田舎の人は低いなんてことはありません。
田舎では勉強できないから子どもの学力も低いのでしょうか? とんでもない。
秋田県の学力の高さをどう説明するのでしょう。
私の次男が通うふもとの小学校だって、全国統一テストで抜群の好成績でした。塾も何もないのにです。誰も塾通いなどしてません。田舎の人間は劣っていると考えている人たちは、どう説明するのでしょう。

山里に住む私にとって、近隣の人たちはみな先生です。農業のことや、山菜の食べ方、山で暮らす知恵、いろいろなことを教えていただいています。そうやって、私たち一家は、集落の一員として暮らしています。

結局のところ、田舎が楽園になるのも嫌な場所になるのも、相手とかかわってゆく自分の姿勢ではないのでしょうか。

同じものを見たり、同じことを体験したりしても、それをどう感じ、どう受け取るか、人によって違うというのはよくあることです。

たとえば、これもよく言われる例ですが、ビンに3分の1くらい飲み物が残っているのを見て、「もう、これだけしかない」と思うのも、「まだ、これだけある」と思うのも、それはその人の考えで、ビンの中の同じ量を見ているのです。

豊かな自然や、古い民家、近隣の人たちとのかかわりを、恵みと感じる人にとっては恵みでしょうし、そう思わない人にとっては、不便な場所、古くさい家、おせっかいな人たちとの煩わしい関係にしか見えないのかもしれません。

田舎を幻想のユートピアにしてしまうのもどうかと思いますが、実際以上に悪く考える必要もありません。

佐藤彰啓著『田舎暮らし虎の巻』[文化出版局]も良書だと思います。これには、経験ある著者の的を得た指摘の数々が載っていますから、田舎暮しの手引書としてお勧めです。

(伊藤一滴)

美容院に行きました

このところ重いテーマの話が多いので、今日は軽い話を1つ。

街に出たときに新しい理髪店(だとその時は思った)を見つけ、ちょうど散髪したいと思っていたので入ってみました。
席に案内され、
「カットでよろしいですか?」
と聞かれ、ふつう理髪店ではそんなことを聞かないので、「しまった、ここは美容院?」と思ったのですが、もう席についているし、今さら「間違いました」と出るわけにもいかず、
「はい、カットをお願いします」
なんて、承知の上で入ったような顔をして言いました。
見渡せばまわりは女性客ばかり。恥ずかしかったのですが、知らんぷりしてました。

だって、店の看板に「ヘアーカット」と大きく書いてあり、その下の店名も美容院を連想させるような名前ではなかったので、こっちはてっきり理髪店だと思ったのです。
「なんとか美容室」とか「ビューティー何々」とか書いてあれば美容院だとわかったでしょうけれど・・・・。

「どのようにカットしましょうか?」
と聞かれ、
「短くして下さい」
と答えました。
美容師さん、男性の髪を短く刈るのは慣れていないのか、なんとなく手がぎこちないのです。私は、どうなるのか、どきどきしていました。でも、やはりプロだけあって、理髪店の散髪と変わらないくらいに仕上げてくれました。

そして、料金が安いのです。理髪店で散髪してもらうより、美容院のカットのほうが安いのです。知りませんでした。
いい勉強になりました。
おしまい。
(伊藤一滴)