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非常勤講師になりました

この春から、ある学校の非常勤講師になりました。
建築の講師です。非常勤ですから、私の授業は週に1回くらいです。

自分からそういう仕事を探していたわけではありませんが、たまたまある方の紹介で講師の仕事の誘いを受けました。お受けすべきかどうか、迷いました。建築の先生に知り合いはいますが、私自身は経験がありません。それに、建築業、農業、そして講師まで引き受けたら、二束わらじどころか三束わらじみたいになってしまい、手が回るんだろうか、とも思いました。

それでも、私は思ったのです。私には、私なりに建築の理想というものがあります。しかし、理想を実現したいと思っても、法令上の制約、社会的な制約、私の残りの人生の時間などを考えれば、私だけでやれることには限りがあります。だったら、理想と思っていることを後の人たちに伝えたいという思いが強くなり、多少無理をしてでも講師の仕事をお受けすることにしました。
1コマいくらの非常勤講師です。授業の準備に費やす時間も考えれば、かけた時間に対する収入は低いですが、これは、お金がどうこうの問題ではありません。

そういう私の気持ちを妻が理解してくれまして、申し訳ないくらい協力してもらっています。

ふだん滅多に着ないスーツを着て教壇に立っています。
担当は「建築構造力学」と「建築構法」ですが、私の話は、日本の伝統民家のことや、日頃このブログに書いているようないろんなテーマに広がっていきます。

「銀河鉄道の夜」の初めに出てくる先生の、あのていねいな言葉づかいが好きで、私も生徒を呼ぶときは「何々さん」と呼んでます。

私が建築学生だった時の経験から考えても、構造系の分野の勉強は大変だと思いますが、みんなまじめです。
私も、生徒たちの熱意に応えられるようがんばってみようと思います。

(「建築の勉強をしても、ヒノキ、マツ、スギの区別も出来ない人が多い」とよく言われるのですが、ヒノキ、マツ、スギの区別は、これから実物を見せて教えます。)
(伊藤一滴)

苦難の意味、再び

Photo

(写真:苗の水やりを手伝う娘)

自分はこんなに幸せでいいのだろうか、という思いは、なぜこの世に苦しみがあるのか、なぜ苦しむ人がいるのか、という問いとつながっています。

困難・苦難の意味について考え、以前、こう書きました。
2006-03-13
困難といっても程度問題で、世の中には耐え難いと思える苦しみがあるのも事実です。なぜ、世の中に過酷な苦しみがあるのか、昔から問われてきました。
旧約の「ヨブ記」のような大昔の話でなくとも、たとえば原爆や空襲、旧満州からの逃避行、戦地での体験記といったものを読むと、なんでこんな苦しい目にあわないといけない人がいるのか、なんでこんな苦難がこの世に存在するのかと、考えてしまいます。
第二次世界大戦直後、19歳のキューブラー・ロスは、まだ異臭の残るナチスの強制収容所跡を訪れ、衝撃を受けたそうです。そして、それが、その後の仕事の出発点になったそうです。
たまたま部屋を片付けていたら出てきたフランクル著『夜と霧』の写真をめくりながら、私は今、苦難の意味について自問中です。
(全文 http://yamazato.ic-blog.jp/home/2006/03/post_182d.html

また、こんなことを書きました。
2006-03-30
前に書いた苦難の意味についての問いに、私ははっきり答えることはできませんが、妻とその話していたら、こう言われました。
「もしかすると、苦難ていうのは、本当はみんなで少しずつ負うはずの重荷なのに、ある人たちが集中して負ってしまっているんじゃないの? だから、自分はああならなくてよかったっていうんじゃなくて、あの人が私にかわって重荷を負った、っていうふうに考えないといけないんじゃないの」。

苦難は何も、戦争や病だけではありません。現代の日本でも、過酷な労働で過労死したり過労自殺に追い込まれたりする人がいます。子どもへの虐待、老いた親への虐待事件もおきています。親子の不和、夫婦の不和だって、大変な苦難といえるでしょう。
なぜある人に苦難が集中してしまうのか、やはり私にはわかりませんけれど、妻が言うように、自分はああじゃなくて良かったなんて思いたくないのです。

「本来みんなで少しずつ負うべき重荷を、ある人たちが集中して負ってしまっている」、もしかすると「あの人が私にかわって重荷を負ったのかもしれない」、そういう認識に立てば、困難にある人をさげすむことなく、もっと相互扶助的に、共生をめざす方向に、ものごとを考えていけるのではないでしょうか。
(全文 http://yamazato.ic-blog.jp/home/2006/03/post_991c.html

上記のブログ記事を書いてから5年が過ぎました。
5年経っても、私や妻の考えは変わりません。
補足すれば、フランクル著『夜と霧』の写真は原著にはなく、フランクル自身はナチスの悪行を告発したり糾弾したりする意図はなかったようです。フランクルは人間の可能性を信じ、希望を語りました。
フランクルとは時代も状況も違いますが、私も、人間の可能性を信じたいです。
(伊藤一滴)

「こんなに幸せに暮らしていていいのだろうか?」

山里に春が来て、だんだん、初夏に向かっています。
今年は3月になってからも雪が降り、雪どけが遅かったのですが、さすがに5月になると気温も上がり、いっぺんに花が咲き、若芽が萌え出しました。

山の幸が豊富です。
自宅の敷地の中にゼンマイ、ワラビ、タラノメ、その他、いろいろな山菜が自生しています。水が湧いている場所もあって、ワサビの群生もあります。

「なんでわざわざ不便な山里で暮らすの?」と、今までずいぶん言われてきましたが、自然の恵みは、それを恵みと感じる人にとって恵みなのでしょう。同じものがそこにあっても、それを恵みと思わない人には価値のないものなのでしょう。

陽だまりの中、妻と稲の苗つくりをし、息子たち(中1と小5)と一緒に畑に作物を植えたり、娘(5歳)と山菜を摘んだりしながら、「こんなに幸せに暮らしていていいのだろうか?」と思えてきました。それは、怖くなるような感覚でした。

大震災でたくさんの人が亡くなり、2箇月以上過ぎた今も、避難所にいる人や、原発事故で避難している人も多数いる中で、私は家族と共に平穏に暮らしているのです。

戦前、ハンセン病で重い障害を負った患者を目の当たりにした若き前田美恵子(後の神谷美恵子)は自分に問いました。
「何故私たちでなくてあなたが?」と。

神谷美恵子にはいろいろな評価があるでしょうが、私は、若き日にこのような問いを発した者にふさわしい生き方をなさった方だと思います。

「こんなに幸せに暮らしていていいのだろうか?」と思う自分自身の問いに、私はどう答えるべきでしょう。
私の答えは、残された自分の人生の、生き方の中で示していくしかないのでしょう。
(伊藤一滴)