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与謝野晶子「みだれ髪」より

与謝野晶子の「みだれ髪」を最初に手にしたのは高校生のときでした。だぶん、古本屋で買った角川文庫版だったと思います。

どきどきしながら開いたんですが、当時(1980年頃)は現代語訳なんてなくて、意味の分からない箇所が多く、いろいろな解説を見ても難しくて、自分の古典読解力のなさを情けなく思いました。
それでも、ああなのか、こうなのかと想像しながら、どきどきしました。

実は、「みだれ髪」には、難解で、あいまいで、いろいろ解釈できる歌も多いんだそうです。

「みだれ髪」の中の、特にどきっとした歌を二首、現在の私の訳を添えて紹介します。


やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

訳:女性のやわらかい肌の熱い血汐に触れることもなく道を説くあなたは寂しくないのですか?(一滴)

「道を説く君」は、昔のお坊さんでしょうか、カトリックの神父さんでしょうか。
実は、そうした宗教家ではなく、恋するあなたのことなのでしょう。


みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてゐませの君ゆりおこす

訳:あなたに抱かれて乱れた髪を京の島田(当時流行の独身女性のヘアスタイル)にセットしなおした朝、「明日はゆっくり寝ていていいよ」と言っていたあなたを揺り起こすのです。(一滴)

「京の島田」(=京風島田)というのが当時流行の独身女性のヘアスタイルと知ったとき、どきっとしました。この二人は夫婦ではありません。独身の女性が男の家に泊まり、翌朝髪をセットしなおしてから男を起こすという話です。明治時代ですよ。


ちなみに、俵万智氏の『チョコレート語訳 みだれ髪』だと上の二首は現代(1990年代)風に意訳され、こうなってます。

燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの

朝シャンにブローした髪を見せたくて寝ぼけまなこの君ゆりおこす

さすが、俵万智氏。


(伊藤一滴)

追記

さらに想像を膨らませて意訳すると・・・

やわらかい肌の中に熱い血汐が流れているこの私が目の前にいるというのに、「それはちょっと道徳的に問題だから」とか道を説いて私の体に触れようとしないあなたって、寂しくないの?(一滴訳)

つまり、「何だかんだと言ってないで早く私を抱いてちょうだい」ということ(一滴の想像です)。

その結果

あなたに抱かれて乱れた髪を京の島田(当時流行の独身女性のヘアスタイル)にセットしなおした朝、「明日はゆっくり寝ていていいよ」と言っていたあなたを揺り起こすのです。(一滴訳)

これも、髪が乱れた原因について「あなたに抱かれて」とは書いてないんですが、想像です。

先に引用した俵万智氏のチョコレート語訳にしても、なんだか、ナイダ理論みたいですけど、文学はそれでいいんです。受け取る側がどう感じてどう解釈するのか、書いてないことまで読み取ってもいいんです。でもそれ、文学作品はそれでよくとも、聖書のような正典の翻訳ではやっちゃいけないんです。原典に書いてある語を訳さず書いてない語を加えたり書き換えたりして「訳」すって、正典でやっちゃ駄目なんです。宗教の正典は直訳調に訳し、原典がさまざま解釈できる箇所は訳文もその通りさまざま解釈できるよう、そのまま訳すべきなんです。意味がよくわからない箇所があっても、わからないまま、そのまま訳すべきなんです。翻訳側の理解を読む人に押し付けてはいけないのです。

与謝野晶子の「みだれ髪」って、キリスト教が理想としているのとは違う話ですが、私は、ミシェル・クオスト著『神に聴くすべを知っているなら』(日本基督教団出版局)が頭に浮かびました。このクオスト神父の本には、生涯独身を貫くカトリック司祭が感じる寂しさの話も出てきます。

「さびしからずや道を説く君」って聞かれたら、
本音は寂しいでしょう。
そりゃあ。

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