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寒い日が続きますが、

最近、気持ちが重くなるような報道が多いです。
自分が関係者だったらどう思い、どう行動したろうかと、つい、考えてしまいます。
答えが出せないような事件や事故に巻き込まれた人、複雑な家庭環境が影響しているのではないかと思われる人のことなどを思うと、どうも、気持ちが重くなります。
「人生は一度きりで、神様は人生をやりなおす機会を与えてはくれないのだろうか」という思いもあります。

寒い、ですね。
全国的に寒いようです。
2012年の1~2月は、経験したことのない雪と寒さの連続です。
山形県村山地方の山里に住んでいるので、毎年、寒い日はありますが、今年のような寒冷が続くのは初めてです。
氷点下8度とか10度位で「寒い」なんて言うと、もっと寒い地域の人から笑われそうですが、連続はちょっと疲れます。

それでも我が家の山里暮らしは、持続する暮らしを求めてのことですから、自然の厳しさへの対応も持続的な暮らしの一部だと思っています。
私も東京暮らしや地方都市での暮らしを経験しましたが、都市部で暮らす大変さを思えば、寒さなどめじゃないという思いもあります。
自然を相手に闘うとか、立ち向かうとかではなくて、時にはうまく身をかわしながら、自分たちも自然の中の一員としてたくみに生きていきたいです。生きていく以上、自然状態そのままというわけにはいかなくても、何か手を加えるのは、自然の秩序に大きく逆らうことのない範囲とし、自然(及びその中に存在する他者)を傷つけ続ける行為に手を貸したくないのです。

これは私の感覚的なもので理屈ではないのですが、自然に逆らい、他者を傷つけ続けて物事がうまくいくはずがない、うまくいったように見えても持続するはずがない、と思うのです。
以前、そういう思いを、内山節氏の言葉を引用しながら書きました。ネットの海の中に消えていくのが惜しい気がして、推敲してまた載せました。

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2010/12/post-e249.html

私は内山氏の言葉に触発されて山里暮らしを始めたわけではなく、内山氏の著書に出会ったのは、何年も山里暮らしをしてからですが、自分の体験に照らしても共感する点が多いです。

現代の産業文明社会は持続性を失っているのではないかと、多くの人が気づき始めました。
産業や社会の発展と人類の幸福は比例しないのではないかと、気づき始めました。
たぶん、変わってゆくのでしょう。
そして今が、変わり始めのときなのでしょう。

私は山里の古民家に暮らし、建築業をしながら自給的な農業をする道を選びました。
私は、何も後悔していません。
(伊藤一滴)

記録的な大雪

記録的な大雪です。

本当に、今まで経験したことのない大雪です。
山里の我が家は、1階が雪で埋まるのは毎年のことですが、今年は小屋や、道路沿いの車庫まで埋まりそうになっていて、これほどの大雪は初めてです。
山形県内を含め、各地で雪による死傷者が出ており、胸が痛みます。

これまで私は、雪というものをあまり否定的に考えていませんでした。
雪の厳しさがあるから、人は助け合い、そうした中で、相互扶助的な精神風土が出来てゆくのだと、むしろ、肯定的に考えてきたのです。
でも、それも、程度問題かもしれません。

とにかく、物凄い雪です。
近所の80代の高齢者たちも、「こんなのは初めてだ」と言っています。
これほどの大雪は、滅多にないことなのでしょうが、自然の脅威を見せつけられているような感じがします。

ごくまれとはいえ、こうした脅威も含めて、自然なのでしょう。
自然には多くの恵みがあります。大部分は恵みと言ってもいいくらいです。
しかし中には、非常に恐ろしい部分もあり、ときに人は、自然の中の恐ろしい部分と向かい合わないといけない、ということなのでしょう。
自然の中で暮らす、というのは、脅威も含めた自然の中で暮らすということなのでしょう。
(もちろん、街の中にいても、地震などの自然の脅威はなくなりません。むしろ、災害時には農村部の方が対応しやすいかもしれません。)

私の守りは原始的で、薪ストーブの火で部屋を暖め、スコップで家の出入口を確保する、というやり方です。
山の暮らしなので、ある程度、食料の備蓄はあります。卵は自給しています。肉や魚などは、四輪駆動車でふもとに下りて買ってくれば、しばらく保存もできるので、困ってはいません。

ただ、毎日続く雪の相手で、ちょっと疲れてきました。

早く春が来てほしい、というのが正直な気持ちです。
たぶん、雪国の人は、ほとんどみんな、そう思っているのではないでしょうか。
(伊藤一滴)