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モダン・タイムズ

私は建築士ですが、主に構造系の仕事をしており、最近のトイレの「進化」など知らずにおりました。
よそ様のトイレをお借りして、驚きましたねえ。フタの自動開閉も余計なお世話という気がしますが、家庭用トイレなのにセンサーが内臓されていて、使用後の水も自動的に流れるなんて。まだ用が済んでいないのに、ちょっと腰を動かしたら流れてしまいましたよ、まったく。
それにしても、使う人の判断ではなく機械がやってくれるというのは、こっちが機械に使われているみたいで、いい気がしません。ささいなことのようですが、何というか、感覚が狂っちゃいます。

トイレに限らず、最近はいろんなものが自動制御になっています。何だか、チャップリンの映画「モダン・タイムズ」の世界にいっそう近づいてきたみたいです。あれは、機械化が進み、人が機械に振り回されておかしくなってしまうさまをコミカルに描いた風刺的な作品ですが、戦前に、すでにオートメーション化への警告がなされていたのです。それなのに、その後、世の中はどんどんオートメーションになってゆき、今ではあの映画の誇張を笑えない感じがします。(「モダン・タイムズ」は、たいていのレンタル店にありますから、興味ある方はご覧ください。)

ガンジーの機械文明批判を読んでいたときも、「モダン・タイムズ」を思い浮かべたのですが、やはり接点がありました。
中央公論社の『世界の名著63・ガンジー、ネール』の解説にあったのですが、ガンジーとチャップリンは1931年にロンドンで会見しています。チャップリンは、ガンジーの機械文明批判に心を動かされ、それが映画「モダン・タイムズ」(1936年)の制作につながっていったようです。

ガンジーやチャップリンが、戦前から警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、21世紀になった今も、まだ世の中は目覚めません。
私たちはいつまで機械の種類や数を増やし、また機械の「余計なお世話」機能も増やしながら、限りある資源やエネルギーを使い続けるのでしょう。それで良くなるならともかく、ますます産業に組み込まれ、ますます機械に振り回されるようになっていくだけなのに。(伊藤)

薪ストーブ

10月初旬まで関東や西日本はずいぶん暑かったようですが、山里のわが家は9月末から寒いくらいになりました。
近所の稲刈りも終わり、稲作農家は一安心というところです。最近は稲刈りと脱穀を機械でいっぺんにやって電気乾燥というのが多いのですが、この辺りはまだ、刈った稲を天日干ししている農家も多いです。
棚田に一面、稲を干す風景の中に、たくさんの赤とんぼが舞っているというのは、なんともいいものです。

自家用に、薪(まき)ストーブを自作してみました。鉄骨建築の端材の鉄板を溶接して作りました。くず鉄を材料にしたので、鉄の材料費はタダです。燃焼効率の計算までは自分で出来ないので、既製品のストーブを参考にしたり、カンで見当をつけたりして試作し、実際に燃焼の実験をしてほぼ満足のいくものを作りました。
近所の人に手伝ってもらって自宅の壁にメガネ石を取り付け、完成した薪ストーブを土間に置き、煙突は自分で設置しました。煙突は市販のもので、直径106ミリ、昔ながらのほうろう煙突です。これを9月末から使っているのですが、思った以上に暖かいです。土間と板の間、台所、合計約20帖を暖めていますが、熱がやわらかく、居心地がいいです。
自然と、火のある部屋に家族が集まってきます。夕食後、薪ストーブのある土間のそばで、家族で過ごす時間が長くなりました。
薪は、家の周りから拾ったり、林の倒木をチェーンソーで輪切りにして斧で割ったりしたもので、買ってはいません。私の手間やチェーンソーの油代のほかはタダです。手間と言っても、楽しみや運動も兼ねていて、苦になりません。それに、外の掃除や林の手入れになりますし、薪ストーブで煮炊きしたり、土間で洗濯物を乾かしたりもできますから、一石二鳥、三鳥、四鳥・・・・・になります。チェーンソーの燃料やオイルが少しだけ必要ですが、灯油代もかからず、電気やガスも不要で、燃費はタダ同然。煙突のほかは配管も配線もなく、すっきりしていて、見た目も悪くありません。
今、目の前でナマの火が燃えているって、なかなかいいものですよ。ふだん大騒ぎの子どもたちも、一緒に火を見つめていたりするんです。温度管理は焚き木の量で調整するというおおまかさがまたいいです。
山里におりますと、チェーンソーと自分の手間が少々、それと薪ストーブがあれば、それなりに快適な北国生活ができそうです。(伊藤)