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囲炉裏の復活・その実際

山里の朝晩は、もう寒いくらいに涼しくなってきたので、囲炉裏もだいぶ活躍しています。
やってみたいという方のために、囲炉裏を使って気づいたことを書いてみます。なお、実際にやるときはご自分の責任で、くれぐれも防火には気をつけてお願いいたします。

囲炉裏もいろいろあるようですが、我が家のものは3尺(91センチ)角のものです。火を焚いてみると、ちょうどいい大きさでした。
炉縁はもともとあったもので、柿木のようです。一部は黒柿に見えるのですが、もしかすると、高価なものだったりして・・・・・。使ってますけど。
下に砂を入れたのは正解でした。魚を立てたときの安定がいいです。串は、竹串がいいです。金属製の串は燃えなくていいような気がしますが、熱くなって素手で触れなくなります。竹串は、気をつけて使えば意外と燃えにくいものです。うなぎの串みたいに串の断面が丸いと魚が回りだして困るので、菜箸で代用したりせず、竹製の平串を使うのがいいです。串に関しては、以前、焚き火で魚を焼いたときの経験でそうしています。
囲炉裏で魚を焼くと、どうしても魚の汁や灰などで手がよごれるので、ぬらした手拭などを用意しておくといいでしょう。
炭も使ってみましたが、広葉樹の雑木の枯れ枝を焚いたほうが、魚が香ばしくなっておいしいです。まず、枯れた杉葉などを少々焚き、細い枝から順番に焚いて火を起こすのは一般の焚き火と同じです。
焚き付けには古新聞という話も聞きますが、現代の紙は薬品処理されているかもしれないし、合成のインクが使われているかもしれないので使っていません。今は紙も安心して燃やすことができない世の中です。
一度にたくさん燃やすと炎が上がって危ないので、そのあたりは、適当に加減して木をくべます。
関心のある方は、古民家や民俗資料館などで、囲炉裏の実物をご覧になってみて下さい。

囲炉裏ができれば、どうしても必要な道具は火箸くらいです。私は、多少鉄工の心得があるので自作してみました。自分用は直径2分(6ミリ)、長さ1尺2寸(36センチ)くらいですが、使う人の手の大きさや好みもあるだろうと思います。いろいろ試しましたが、あまり重いのや長すぎるのは使いにくいです。火箸は骨董市などでよく見かけますが、鍛冶屋さんの知り合いでもいれば、自分用に使いやすいのを作ってもらってもいいでしょう。
それと、必ず必要というわけではありませんが、ナベをかける自在鈎もあったほうがいいと思います。私も、一応用意してあるんですが、まだ使っていません。以前、古い建物を改築したときに、建て主がゴミに出そうとしていたのをもらってきました。私には貴重な道具でも、人によってはゴミなんですね。自在鈎なんて、昔はどこの家にでもあったのでしょうが、今となっては、自作するか、作ってもらうか、骨董市や骨董屋で探すかして入手するしかないでしょう。
自在鈎を吊るせば、それに似合うナベや鉄ビンも欲しくなり、火棚も取り付けたくなるのでしょうが、それはまた、だんだんにやっていこうと思います。理想はスローライフですから。じねんと、じねんと。(伊藤)

囲炉裏の復活

お盆を過ぎてからは、朝晩、ずいぶん涼しくなりました。
土手一面にススキの穂が出てきました。。ミズヒキグサがその名のとおり赤い水引みたいな花を咲かせています。風立ちぬ、といったところでしょうか。
あれほど賑やかだったセミたちの声が弱まり、かわってコオロギやスイッチョといった秋の虫たちが鳴き出しました。地上での短い生を終えたセミの屍骸に、アリが黒く群がっています。昆虫たちの屍骸は、他の生命を養って、最後は土に還って植物を育むでしょうから、わが家のまわりでも、そうして命が巡ってゆきます。

囲炉裏の補修が終わり、横座(家の主人の座)に座って火を焚いてみました。炎を上げて燃えているときや完全にオキになってからは煙くないのですが、炎が上がらず燻りだすとけっこう煙いです。うまく燃やすにはコツがいるようです。
ある程度、火を焚く練習をしてから、魚を焼いてみました。囲炉裏の中が全部灰だと、串がうまく立たなくて魚が倒れやすいと聞いたので、中には砂を入れ、上の方にだけ灰を入れてあります。魚は地元のヒメマス(淡水魚)を使ってみました。ヒメマスに天日塩をよく振ってすりこみ、長めの竹串を通しました。そして、囲炉裏に火を焚いて、時代劇や映画に出てくるみたいに火のまわりに刺して立てました。
はじめはヌルッとしていた魚の表面が乾いてきて、余分な汁が串づたいに流れ落ち、やがて全体がこんがりと焼けていい香りが漂ってきました。火はパチパチと音をたて、木が燃える匂いと魚の焼ける匂いが混じり合い、よく見ようとして顔を近づけると煙で目が痛くなったりするんですが、何だか懐かしいような気分でした。
「懐かしいような」といっても、実は、やったことがなかったんです。小学2年まで住んだ私の生家には囲炉裏がありましたが、ほとんど使っておらず、魚を焼いたりすることはありませんでした。囲炉裏で魚を焼いたのはそのときが初めてなのに、懐かしいような気持になるという、不思議な感覚でした。
初めてのことでもあり、焼くのには少し時間がかかりましたが、はっきり言って、炭焼きよりうまいです。煙で燻される効果もあるようで、一種の燻製のような香ばしい風味もあります。炭焼きだってかなりおいしいのですが、囲炉裏で焼いた魚は今まで食べたことのない絶品でした。なんでこんなにうまい食べ方を、日本人はやめてしまったんだろうと思いました。
まったく同じ魚でも、電磁調理器を使えばファーストフード同等に落ちてしまい、ガスはまだまし、炭はもっと良くて、囲炉裏は最高、というのが私の結論です。
囲炉裏で魚を焼くのを子どもたちに見せたのですが、喜んだのなんの。外で焚き火をしたって嬉しいのに、家の中で焚き火みたいなことをして魚を焼くんですから、もう、大喜びでした。
裸電球の明かりをつけ、私が横座に座り、妻に、かか座(主婦の座)に座ってもらい、子どもたちは好きな所に座らせ、囲炉裏の火を囲んで食事をしてみました。
昔はそんな風にして食事をしていたのでしょう。大正から昭和にかけて、ちゃぶ台が普及してきてからも、家族は集まってちゃぶ台を囲んでいたことでしょうし。
今、街中では近所づきあいが切れてきましたが、家の中でさえ、家族が集まらなくなったと聞きます。今後、住宅の電化がますます進み、どの部屋も常時空調完備・テレビもインターネットも完備なんてなれば、ますます家族は切り離されてゆくことでしょう。便利さや楽ちんを追求することと、家族の幸せとは別の問題だと私は思うのですけれど・・・・・。
山里の暮らしは不便とされていますが、わが家はなるべく自然と調和して生きることを願い、家族で苦楽を共にしながら、ささやかな生活を楽しんでいます。こうして山里におりますと、お金はかからないし、日々、けっこう楽しめることが多いです。(伊藤)

開発の限界、そして・・・・

山里暮らしを始めて、あきれられたり、うらやましがられたりしておりますが、私たちにはたいしてお金もないですし、ここでの暮らしは質素そのものです。お金持ちのセカンドライフや週末住宅とはわけが違います。

どういう考えで山里暮らしを始めたのかは、このサイトを始めた最初の日に書いたとおりで、掲載した転居のご挨拶は、伊藤一家の山里暮らしの宣言文のようなものでした。下の方にスクロールしていただくとまだ読めますが、あの挨拶の文章は、妻と2人で日ごろ話していた内容を私がまとめたもので、2人の共通の考えです。書いたとおり、「山間部での暮らしは万人向きではない」のですが、静かな山里での時代遅れの生活は、自然環境はもちろん、近所づきあいや、広い菜園や、子どもの遊び場や、いろいろな面で住み心地は抜群です。「万人向きではない」理由の一つは現金収入の道が限られることですが、それでもよいと考え、都会から移住してきた人も近くに住んでいます。それは何に重きを置くか、何に価値を感じるかという、生き方の方向性の問題だろうと思います。

申し訳ないのですが、今回書く話は楽しい内容ではありません(しかも、長い)。
地方に住む人の収入に関して言えば、現在、地方の土木や建築業界はもとより、さまざまな分野で、景気は最悪です。思うに、小泉政権以前は、公共工事が地方の経済を活性化させていた面がありました。小泉政権になってからの公共事業引締め政策により無駄な公共事業を減らしたのはいいのですが、地方は逼迫してしきました。締めるだけ締めて、余剰人員対策がほとんどないのです。本当は、荒れた農地や森林の手入れに人員が向けられればいいのに、と、私は個人的に思っておりますが、世の中そうは動きません。
地方はこれまでいろいろな公共物をつくってきました。必要にせまられてというより、経済を動かすためにつくってきたような面がありました。しかし、もう新たにつくるどころか、今までつくったものを維持するのにもお金がかかってあえいでいます。みんな困っているので民間の需要も伸びません。民間主導による景気回復というのは、大企業の拠点がある都市部ならともかく、地方には当てはまらないようです。大企業にしても、多くの分野で国内需要は頭打ちですから、リストラと海外需要からの稼ぎによる景気回復といったところでしょうか。死ぬほど働く正社員・正職員となって安定した収入を得るか、不安定な臨時雇いとなるか、組織で働く人たちが二分化されています。普通に働き、普通に生活し、普通に子育てするといったことが難しい、そんな世の中がやってきました。
地方でも都会でも、仕事がなくて困っている人がたくさんいる一方で、仕事のやり過ぎで疲労困憊している人もいます。これまでやってきたことが、いろいろな面からいろいろな形で行き詰ってきました。ひたすら開発を続けることで経済を動かし続けることは、もう限界に達しているように思えます。

建築仲間の話題にさえ「Xデー」の話が出ます。いずれ「Xデー」がきて、財務省の輪転機がフル回転し、十万円札や百万円札をどんどん印刷して、国の赤字を全部返済するんじゃないかという話です。新円切り替えや預金封鎖とセットでやるんじゃないかとか、大増税の方が先に来るだろうとか、いろんなことを言う人がいます。そんなことをすれば大インフレが起きて暴動になるだろうと言う人もいれば、現代の日本人は個々に切り離されているから、混乱は起きても広範囲の連帯はないだろうと言う人もいます。
みんなタイタニック号に乗っているのに、「一等船室にいる人は勝ち組で、三等船室にいる人は負け組だ」などと考えてもしかたありません。いつ誰がどっちに転ぶかわからないバクチみたいな世の中で、みんな先が見えない中に暮らしています。そんな中で、一等船室入りをめざし、他者を出し抜くため必死で戦うことにどれほどの意味があるのでしょう。
すぐには「沈没」の日は来ないにしても、どう考えても持続しない社会というのは、いつか来る沈没に向かって進んでいく船のように思えます。

日本は厳しい競争社会だと言われますが、「厳しい競争」と「社会」(共同体)が両立するはずもなく、厳しい競争の繰り返しの中で、だんだん社会が蝕まれてきたように思えます。もうすでに、地域社会が崩れてきました。かつて地域と共にあった小さな商店や地元企業が運営困難になってきて、地域住民を獲物にする企業が県外から進出してきました。地域のコミュニティーが崩れてきているので、獲物はよくかかります。それでも競争も地域社会の崩壊もとまりません。私は、伝統的な日本の民家が失われていくのを惜しんでいる人間ですが、「失われていくのは民家だけではない」のです。民家と共にあった相互扶助的な地域社会が崩れてきているのです。

私の少年期・青年期は、経済成長が続く時代でしたから、努力して勝ち抜いていくことが最高の価値であるかのような雰囲気がありました。しかし、現実は、たとえ競争に勝っても、その先に次の競争があるだけです。そのまた先は、また次の競争です。人は競争するために生まれてきて競争するために生きるのか、と言いたくなるのが現実です。
競争に勝てば幸せになれると思い、ひたすら競争を繰り返しても、勝者も敗者も幸せになれず、年間3万人も自殺するのがこの国の現状です。これが戦後日本の進歩の結果でしょうか。

そうした現状をふまえ、我が家は山里で、スローライフを目指すことにしました。
ここにはまだ、地域社会が残っています。「お互い様だから」と助け合い、譲り合う気持が残っています。近隣とのかかわりや、自然に囲まれた中に身を置くことで、心も体も癒やされていくのもわかります。

既成の価値観の束縛の中で生きても一生、自分たちで成すべきことを選び取っても一生です。
ラテン語でモルタルという言葉がありますが、人間を含めてすべての命あるものはまさにモルタル(死すべき運命に定められた者)であり、生まれたその日から死に向かって歩んでいると言えます。そう思うと吹っ切れて、じたばたあがいても仕方がない、人としてこの世に生を受けた以上、人は本来こうあるべきだという理想に少しでも近づきたいと思うようになりました。そう言うとかっこいいのですが、ようするに、やってみたいことをやってみようという気になったのです。

考えようによっては、閉塞感が漂う中にいるから、考える機会に恵まれ、目覚めた、とも言えます。もし地方の経済が順調であり続けていたら、ひたすら開発を続けていくことの限界だの、人生の意味だの、いちいち考えずに突っ走っていたかもしれません。そして、たぶん、山里の古民家に暮すこともなかったでしょう。

みんな果てしない競争の繰り返しに疲れてきました。歴史の中に埋もれていた金子みすゞが再評価され、「みんなちがって、みんないい」と言われる時代です。人気歌手が「ナンバーワンよりオンリーワン」と歌い、テレビが「開墾記」を放送する時代です。長男が、「自分らしく生きていけたら最高にいい」という意味の歌を歌っていました。今は小学校でもそんな歌を教える時代なんです。

おそらく、今後、大変動が来るでしょう。
何から先に破綻していくのか、その順番はわかりませんし、それがいつとも言えませんが、たぶん、破綻の連鎖の続く大変動となる可能性はかなり高いのではないかと思います。
「伊藤さん、何でそんなに未来を悲観するの?」と言われたこともありますが、私は別に悲観などしておりません。冷静に、今の日本や世界の状況を考えたら、大変動が来るだろうとしか言いようがないのでそう言っているだけです。むしろ、大変動は新生の夜明けと考えているくらいです。

日本の明治維新にしてもアジア太平洋戦争の敗北にしても大変動でしたが、新生日本の夜明けの時でもありました。多くの犠牲の上に、硬直化した旧体制が崩壊し、混乱はあっても、旧い秩序の束縛から解き放たれて、いろいろな人たちがいろいろな理想を掲げた時代であり、実際、多様な可能性・選択肢のあった時代でした。
明治政府が選んだのは、帝国憲法と教育勅語を柱とした軍事国家の道で、敗戦後の日本が選んだのは非軍事的な経済立国の道でした。その是非はこれまで検討されてきたし、今後も検討されていくでしょう。
敗戦から立ち上がった人たちの希望は遠い話になりました。今現在の日本は、きゅうくつで、閉塞感の漂う国となり、未来像が見えません。何を目ざし、どこに進もうとしているのか、見えてきません。戦後の日本の拠り所だった経済は、地方では行き詰ってきているし、都市部でも景気がいいのは一部だけ、わが国の非軍事も怪しくなっています。

私が生きているうちに大変動を見るのかどうか・・・・・。私自身、大変動の中でどうなるのか、その後の世界を見て何かやれるのか、それとも、そもそも予想に反して大変動などずっと来ないのか・・・・・、わかりません。
わかりませんけれど、願わくは、第一次大戦後のドイツのように、模範的なワイマール憲法を持ちながら、合法的な選挙でヒトラーが選ばれたような事態になってほしくない、インフレと失業の時代の中で、威勢のいい指導者のかけ声について行く大衆の熱気に、思慮深い声がかき消されてしまうような、そんな日本になってほしくない、と思っております。(伊藤)

ヘビの抜け殻

いやー、台所の勝手口を開けたら、1.2メートルくらいのヘビの抜け殻がありました。
頭のてっぺんからシッポの先まで、実にきれいに脱いでいました。たぶん、アオダイショウだと思います。それにしても、人の家の戸口のまん前で、よく脱皮したものだと関心しました。
実はこれまでも、家のまわりで何度か大きなヘビを見かけていたのですが、妻には内緒にしてました。

ヘビの抜け殻をうちの子どもたちに見せたら、もう、喜んで大はしゃぎでした。
次男坊が保育園に持っていくと言うので、大丈夫かな、と思ったんですが、ポリ袋に入れて持たせてやりました。
あとで次男に聞いたら、抜け殻を出したら男の子たちが集まってきて、女の子たちはみんな逃げたと言うのです。保育園児でも、ヘビに対する関心は、男女差がはっきり分かれるようです。
「男のくせに」とか「女のくせに」とか、そういった言葉は私も妻も嫌いなので、わが家では言ったことがないのですが、それでも男の子は男の子っぽく育っていきます。うちの子に限らず、どうも男の子を見ていると、ヘビとか、虫とか、棒とか、好きですね。
保育園で、子どもがヘビの抜け殻を先生(女性)に見せに行ったとき、先生は「とても怖くて息が止まりそうだった」とのことですが、見たいと言う子(男の子たち)に見せたあと、紙の箱に入れて保育園の玄関に展示してあるとのことです。(伊藤)
追記1:この抜け殻は、その後、わが家に戻されました。
追記2:16日のお昼前に地震があり、揺れましたが、こちらでは被害はありません。

暑い8月

いよいよ衆議院の解散・総選挙が決定したようで、暑い8月になりそうです。
この国が何を目ざし、どこに進もうとしているのか、よくわかりませんけれど、今まで通り今回も必ず投票に行くつもりです。

今年は戦後60年。戦争に対しては、いろいろな思いを持つ人がいるかと思いますが、戦争体験を持つ人たちは高齢化しています。若い世代の中には、日本とアメリカが戦争したことを知らない人もいると聞いて驚きました。そういう時代なのでしょうか? 分数の計算ができない大学生には驚きませんでしたが、これはちょっと驚きでした。
私が生まれたのは、戦後19年目の夏で、私の幼少期には戦争体験者は身近に大勢おりました。私の父も母も、敗戦の年には国民学校(小学校)の児童で、小国民と呼ばれた世代です。軍国主義教育も、一億玉砕の覚悟も、食糧難の時代の飢えも、体験した世代です。
20歳前後で戦地に行き、生きて帰って40歳くらいで親になった人もおり、私の世代でも、父親が戦争中に軍隊にいたという人もいます。私にとって戦争は遠い歴史の1コマではなく、「少し前にあった生々しい現実の話」でした。
この山里にも戦没者のご遺族がいます。私の方からは、あまり戦争中のことを聞いたりはしないのですが、たぶん、いろいろな思いを抱えての、60年目の8月だろうと思います。(伊藤)

山里の自然の中で

山里暮らしをしておりますと、いろいろな自然の生き物を目にします。
この時期ですと、たとえばセミ。朝4時頃から、まずヒグラシの大合唱が始まります。ヒグラシというと夕暮れの林の中で寂しげに鳴くイメージがありますが、ここでは朝から大合唱です。そのうちアブラゼミやミンミンゼミも鳴き出し、わが家は大音響に包まれるのですが、うるさいと感じないから不思議です。

朝5時、露にぬれた畑に出て、草を刈り、舗装道路まで出る通路を見回り、その日に食べる野菜を少し収穫してきます。道を見回るのは防犯上の理由ではなく、雑草が伸びて通りにくくなっているといけないから、朝の散歩と草刈りを兼ねてやっています。この季節、雑草は1日でけっこう伸びます。カマを使っての草刈りは、機械のように能率的でないかもしれませんが、ていねいな作業ができるので好きです。ガソリンも電気もいらないし、虫やカタツムリを傷つけずにすみますから。朝もやの中、涼しいうちに体を動かすのは楽しいです。
山里のカタツムリは一回り大きく、色も少し黒味がかっていて、見るからにたくましそうです。まれに、別の種類で、平べったくて殻に毛の生えたカタツムリを見ることがあります。これは山里に来て初めて見つけました。
畑と通路を一回りしてから、家に戻って朝食です。平日の朝食はいつも和食で、家庭菜園の野菜が食卓に上ります。
食後にコーヒーを飲み、新聞に少し目を通し、それから妻と子どもたちに見送られてジープで出勤です(なるべく地元産の食品や物品で暮らすのが理想ですが、コーヒーは学生の時からの習慣でやめられません)。ふもとに下りるまで自動車とすれ違うのはまれです。下りてからも田舎道ですが、通勤らしい自動車がスピードを出して走り抜けて行くこともあります。国道に出ると、さらに殺気立ったような運転に出くわすこともあります。街に近づくほど、のんびりした光景から遠ざかります。

仕事で街中にいると暑いですし、めんどうな仕事もあります。街の雰囲気に疲れることもあります。でも、夕方、その日の仕事を終えて、ドアなしジープでふもとまで帰って来るとほっとします。あとはセミしぐれの山道をぐっと駆け上がるのですが、木立の中、緑の匂いのする涼風を体に受けながら上がって行くのは爽快です。
集落に入ると、農家の人が呼び止めて野菜をわけてくれたりします。ありがたいです。
帰り道、タヌキが歩いて行くのを見かけることがあります。たまに夜道を走ると、キツネが道を横切ったりします。「子連れのハクビシンを見た」という人もいますが、私は今のところ未確認です。先日の夜にわが家に来たのは、やはりアナグマだったようです。

おとといの夜、家の中にカブトムシが飛び込んで来ました。舗装道路まで行ってみたら、街灯の下でまたカブトムシを2匹見つけました。夜、玄関の明りのまわりでは、たくさんのセミや蛾や小さな虫たちが飛んで来て大騒ぎです。小さな虫をねらってカエルもやって来ます。
休みの日に家にいると、家のまわりでトカゲやヘビを見かけることもあります。よく「トカゲのシッポ」と言いますが、シッポは金属的な光沢があり、玉虫色に光ってきれいです。

カエルが虫を食べ、ヘビがカエルを食べ、猛禽やある種の動物がヘビを食べる、というわけです。猛禽や動物も死ねば他の生き物に食われ、最終的には土に還って植物の肥やしになり、その植物を虫が食べ・・・・というように(実際はもっと複雑でしょうが)、自然界の循環が続くわけです。弱肉強食のようにも見えますが、共存共栄のようにも見えます。
自然農法家の福岡正信さんがおっしゃるように、「自然は完全なものとして完成している」というのが事実でしょう。それに対して「人為は不完全」なので、人の為すことには限界がつきまとうわけです。
自然に対する人間は、しょせん、お釈迦様の手のひらの上の孫悟空のようなものかもしれません。
「自然破壊」と言いますが、それは人間が、自然のある面を人間が住みにくい状態に変えているだけの話です。たとえ、人類が自らの愚かさによって絶滅したとしても、そんなことにおかまいなく何らかの自然は残り、そこから自然は展開してゆくことでしょう。まるで人類の存在などなかったかのように。

この山里に来て、自然の偉大さ実感するようになり、自然への畏敬の念を深めています。そう思えば思うほど、身近な自然の恵みと大切さをますます感じるようになりました。(伊藤)

夜の訪問者 

先日の、夜の11時頃でした。
ふだんは、そんな時間はもう寝ているのですが、その夜はたまたまその時間、お風呂に入っておりました。そしたら、連れ合いが呼ぶんです。
「パパ、ちょっと来て。外で変な音がする」
犯罪のない山里で、留守でも鍵もかけないような地域ですから、まさか不審者ではないだろうと思いましたが、急いでお風呂から上がり服を着ました。耳を澄ませてみると、たしかに、外でゴトゴト壁をこするような音がします。何か動物だろうと思いましたが、念のため、懐中電灯を持って外に出てみました。ナタやカマを持ち出さなかったのは、もしもの場合でも、なるべく相手に怪我をさせたくなかったからです。いざとなったら懐中電灯を投げつけて家の中の逃げ帰ろうという気持でした。山里の夜は、月夜でなければ真っ暗闇ですが、その夜は曇り空で星も見えず、外は何一つ見えない漆黒の闇でした。
玄関先で、少し闇に目を慣らしてから外に出ました。音のするほうまでそっと歩いて行って、ぱっと懐中電灯の光を向けたその瞬間、目が合いました。猫よりも大きく、狸よりも鼻先がとがっていて、パンダのように目のまわりに縁取りがある動物でした。一瞬キョトンとして私の方を凝視し、それから無言で闇の中に消えていきました。
私はあっけにとられ、あれはいったい何だろうと思いました。
家に戻って連れ合いに話したところ、連れ合いは「狸じゃないの」と言うのですが、私はハクビシンかもしれないと思いました。隣町でハクビシンが出たという話を聞いていたからです。狸か、狐か、ハクビシンか、アライグマか、2人でいろいろ想像しましたが結局わからず、ポケット図鑑で見てみたら、アナグマに似ていました。
気になったので、インターネットでそれぞれの写真を見比べてみたら、やはりアナグマに似ています。(伊藤)