« 2025年12月 | メイン | 2026年2月 »

山上徹也さんへの不当判決に抗議する

安倍晋三元首相を銃撃して殺害した山上徹也さんに無期懲役の判決が下りました。

前科もなく、殺害された人が1人で、それで無期懲役って!

何の落ち度もない人が殺されたのならともかく、統一協会の悪質性、反社会性は明らかであり、安倍晋三氏はその統一協会と深い関係にあったのです。

もちろん、だから殺していいわけではありませんが、総合的に考えれば、懲役10年か、重くて15年くらいかと思っていたのです。それが無期懲役って!

私は、驚き、あきれ、この不当判決に怒りが込み上げて来ました。


1/21(水) 16:30配信の朝日新聞電子版に、鈴木エイトさんのコメントが載っていたので引用します。

引用開始

 裁判の傍聴を続けてきたジャーナリストの鈴木エイトさんが閉廷後に取材に応じ、「重すぎる判決だ」と述べた。

 鈴木さんは「宗教2世と呼ばれる社会問題の被害者が、人生の居場所を奪われた背景のなかで起こした事件だ」とした上で、奈良地裁の判断について、「そうして社会から居場所を奪われた人に、戻ってくる余地を与えないような判決だった。彼一人に背負わせていいのか」と語った。

引用終了


判決は宗教二世の苦しみをほぼ無視しています。
現に悪質な宗教が存在し、その悪質な宗教に安倍晋三氏が深くかかわっていたというのに


安倍氏や氏の仲間たちは、統一協会との関係やモリカケサクラ等で何の罪にも問われていないのに、山上さんには無期懲役っておかしくないですか。日本の司法は権力者の罪は問わず、不幸な生い立ちの庶民には重罰を科すのですか。宗教二世の悲劇は、統一協会と深く結び付いていた安倍晋三氏らにも重大な責任があるというのに、判決はそれをほぼ無視。

裁判長は自民党の熱烈な支持者なのですか。権力側に忖度して上ばかり見るヒラメなのですか。
これは、自民党に攻撃を加えた者はこうなるのだという見せしめの判決ですか。

高市氏がこの時期に大急ぎで解散総選挙に出たのは、マスコミの報道が選挙中心になり、山上さんや統一協会の問題が報じられるのを薄めるように仕組んだ、という噂があるのですけれど、本当?


山上さんの弁護士さんにお願いします。
必ず上告してください。上告して、統一協会、安倍晋三氏、自民党の悪事の数々を一層明らかにしてください。山上徹也さんのためにも、他の宗教二世の被害者の方々のためにも。

今回の選挙で統一協会とつながっていた自民党議員たち(≒裏金議員たち)も立候補します。
有権者は投票に行って意思表示をすべきです。


もっといろいろ言いたいのですが、体調不良で、今日はここまでにします。

(伊藤一滴)

与謝野晶子「みだれ髪」より

与謝野晶子の「みだれ髪」を最初に手にしたのは高校生のときでした。だぶん、古本屋で買った角川文庫版だったと思います。

どきどきしながら開いたんですが、当時(1980年頃)は現代語訳なんてなくて、意味の分からない箇所が多く、いろいろな解説を見ても難しくて、自分の古典読解力のなさを情けなく思いました。
それでも、ああなのか、こうなのかと想像しながら、どきどきしました。

実は、「みだれ髪」には、難解で、あいまいで、いろいろ解釈できる歌も多いんだそうです。

「みだれ髪」の中の、特にどきっとした歌を二首、現在の私の訳を添えて紹介します。


やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

訳:女性のやわらかい肌の熱い血汐に触れることもなく道を説くあなたは寂しくないのですか?(一滴)

「道を説く君」は、昔のお坊さんでしょうか、カトリックの神父さんでしょうか。
実は、そうした宗教家ではなく、恋するあなたのことなのでしょう。


みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてゐませの君ゆりおこす

訳:あなたに抱かれて乱れた髪を京の島田(当時流行の独身女性のヘアスタイル)にセットしなおした朝、「明日はゆっくり寝ていていいよ」と言っていたあなたを揺り起こすのです。(一滴)

「京の島田」(=京風島田)というのが当時流行の独身女性のヘアスタイルと知ったとき、どきっとしました。この二人は夫婦ではありません。独身の女性が男の家に泊まり、翌朝髪をセットしなおしてから男を起こすという話です。明治時代ですよ。


ちなみに、俵万智氏の『チョコレート語訳 みだれ髪』だと上の二首は現代(1990年代)風に意訳され、こうなってます。

燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの

朝シャンにブローした髪を見せたくて寝ぼけまなこの君ゆりおこす

さすが、俵万智氏。


(伊藤一滴)

追記

さらに想像を膨らませて意訳すると・・・

やわらかい肌の中に熱い血汐が流れているこの私が目の前にいるというのに、「それはちょっと道徳的に問題だから」とか道を説いて私の体に触れようとしないあなたって、寂しくないの?(一滴訳)

つまり、「何だかんだと言ってないで早く私を抱いてちょうだい」ということ(一滴の想像です)。

その結果

あなたに抱かれて乱れた髪を京の島田(当時流行の独身女性のヘアスタイル)にセットしなおした朝、「明日はゆっくり寝ていていいよ」と言っていたあなたを揺り起こすのです。(一滴訳)

これも、髪が乱れた原因について「あなたに抱かれて」とは書いてないんですが、想像です。

先に引用した俵万智氏のチョコレート語訳にしても、なんだか、ナイダ理論みたいですけど、文学はそれでいいんです。受け取る側がどう感じてどう解釈するのか、書いてないことまで読み取ってもいいんです。でもそれ、文学作品はそれでよくとも、聖書のような正典の翻訳ではやっちゃいけないんです。原典に書いてある語を訳さず書いてない語を加えたり書き換えたりして「訳」すって、正典でやっちゃ駄目なんです。宗教の正典は直訳調に訳し、原典がさまざま解釈できる箇所は訳文もその通りさまざま解釈できるよう、そのまま訳すべきなんです。意味がよくわからない箇所があっても、わからないまま、そのまま訳すべきなんです。翻訳側の理解を読む人に押し付けてはいけないのです。

与謝野晶子の「みだれ髪」って、キリスト教が理想としているのとは違う話ですが、私は、ミシェル・クオスト著『神に聴くすべを知っているなら』(日本基督教団出版局)が頭に浮かびました。このクオスト神父の本には、生涯独身を貫くカトリック司祭が感じる寂しさの話も出てきます。

「さびしからずや道を説く君」って聞かれたら、
本音は寂しいでしょう。
そりゃあ。