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アメリカの大統領選挙の結果を聞いて

前回、私はこう書きました。

「その後、私は現実を見ました。民主主義の社会に生きる国民が、時の勢いに乗って、やがて自分たち国民の自由を奪うような人に政権を委ねてしまうこと。また、一部の地域や一部の人たちに負担が集中するような政策を数の力で決めてしまうこと。それが、「選挙で選ばれたのだから」、「多数決で決まったのだから」となる現実を。」

昨日(11月9日)アメリカの大統領選挙でトランプ候補が当選したというニュースを聞きながら、私は、まさにこの通りの民主主義の限界(あるいは本質的欠陥)を感じました。

平等の実現や諸民族の宥和には長い時間がかかりますが、重ねてきた努力を破壊するのは一瞬です。終焉に向かう世界の資本主義の秩序が、もがきながら、破綻を加速させているように思えます。おそらく、その後に来るのは長い混沌の時代なのでしょう。資本主義体制崩壊後の世界が、次の秩序を構築するのにいったい何百年かかるのか、私にもわかりません。

でも、私は最期まで上を見上げて生きていくつもりです。「明日世の終わりが来ようと今日はりんごの木を植える」という思いで。

(伊藤一滴)

民主主義・資本主義の限界

もちろん、何でも「社会が悪い、政治が悪い」と言うだけで自分は何もしないとか、とんちんかんなことをするとかが、いいはずはないです。今起きていることが、本当に社会や政治の責任なのか、見抜く目が必要だと思います。「社会にも政治にも関心ありません」なんて人に、私は、高い評価を与えたくはないです。

さて、私が中学生だった頃、民主主義が最高の制度であり、資本主義の文明こそが文明の頂点だと、素朴に思っていました。私の親も、当時の教師の多くも、戦中を生きた人たちでした。民主主義がいかに素晴らしいかを語っていたし、封建時代は不平等でよくないし社会主義だと競争がないから良い製品が出来ないと聞かされ、資本主義が一番良いのだと思っていました。

その後、私は現実を見ました。民主主義の社会に生きる国民が、時の勢いに乗って、やがて自分たち国民の自由を奪うような人に政権を委ねてしまうこと。また、一部の地域や一部の人たちに負担が集中するような政策を数の力で決めてしまうこと。それが、「選挙で選ばれたのだから」、「多数決で決まったのだから」となる現実を。

資本主義もそうですが、民主主義も、自分の損得や目先の損得で判断します。あの候補者が当選すれば当面は得をし、遠い未来には大損するとわかっていても、それでも入れるのが民主主義です。

資本主義は、どんどん生産して供給して発展していくやり方ですから、開発途上や戦災復興などのときには力を発揮しても、平和で物が豊富な世の中になると行き詰ります。これ以上、何を作り誰に売るのか困り出しても、止められないのです。生産し、供給し続けなければ資本主義が続きません。使える物を捨てながら、無駄な物を作って買い続ける。あまり意味のないモデルチェンジや、使いこなせないほど機能がついた製品が出回り、破綻するまで「発展」を続けるしかない。残るのは環境破壊とごみの山です。

でも、民主主義、資本主義を超える制度に人類はたどり着いていません。下手にこの制度をいじると、より悪い社会に向かってゆくかもしれません。欠点も限界も解っているのに超えられない。そこに、歯がゆさを感じます。

(伊藤一滴)

入試面接に思う

高校3年生の長男は大学進学を目ざして勉強中です。現在、日本の大学入試は多様化し、試験によっては面接が実施されることもあるので、面接の練習もしています。

私も、いわゆる「面接本」をいくつか見てみたのですが、本によって書いてあることが違います。たとえば、「政治や社会を批判するような話は避けるべきである」と書いてある本と、「政治や社会に対する批判的な視点を感じない生徒に高い評価を与えたくない」と、まったく逆のことが書いてあるのもありました。

大学の先生の多くは、教育者であると共に研究者でもあり、与党の政治家ではありませんから、面接の場で政治や社会を批判するようなことを言ったからといって、それを理由に即不合格にはしないだろうと思います。不合格は、何か他に理由があるのでしょう。もし、本当にそれが理由の不合格なら、そんな大学に入ったってろくな授業は受けられないだろうから、不合格になって正解というものです。大学人の務めは真理の探究であって、権力の意向を忖度することではありません。学問は学問として独立したものであり時の権力の意向に左右されない、それは、研究者にとって基本中の基本です。もし、この基本さえわからぬ教員が面接官をするような大学があるなら、それは、しょせんその程度の大学だと言えます。

私なら、「政治や社会に対する批判的な視点を感じない生徒に高い評価を与えたくない」です。

(伊藤一滴)