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サンマはおいしい

サンマのおいしい季節になりました。
囲炉裏での塩焼きも抜群においしいのですが、新鮮なものは刺身にしてもおいしいです。
自分で出刃包丁を使って3枚におろします。皮をはぎ、腹骨、小骨を取って、あとは食べごろの大きさに切るだけで出来上がりです。
あらも捨てません。頭と内臓の苦い部分は堆肥の原料にしますが、あとは工夫して食べます。特に腹骨と内臓の間は脂がのっていておいしいので、捨てるのがもったいないと思い、調理法を考えてみました。
我流ですが、例えば、皮も小骨もキモも、背骨からはずした身と一緒に細かくきざんでサンマのつみれにしたり、きざんだものにパン粉と塩少々を加えて練って、サンマのハンバーグにしたりします。これがまたおいしいんです。背骨も、油で揚げたり、炭火でこんがり焼いたりすれば食べられます。
自然の恵みに、捨てる部分はありません。食べられる部分はほとんど食べて、あとは肥やしの原料です。
自然に還らないものは、人間が人為的につくり出したものばかりで、自然の恵みはみな、自然の中に循環していきます。
これから、食べ物がおいしい季節になります。秋野菜とサンマ、そして新米。楽しみです。(伊藤)

人を幸せにしない産業文明

産業文明は人を幸せにしないという話を、ことあるごとにしていますが、その理由をご説明します。

産業文明の限界の一つは、いつまでたっても、商品が一時的にしか完成せず、最終的に完成した形態にならないことです。
ある製品を実用化したなら、多少の改良はあっても、最終的な完成形にして、あとは基本的に同じ製品をつくり続ければよさそうなものですが、そうなりません。
自動車、カメラ、腕時計、その他いろいろありますが、もう改良の余地がないくらい完成された製品が販売されたのに、その後、新製品が出てきて、頂点だったはずの製品が生産中止になるという例をいくつも見ました。しかも、どう考えても新製品のほうが使いにくい、一見オート化されて使いやすいようですがそうでもなく、余計な機能がついた多機能で、複雑で、ややこしくて、かえってわかりにくいという例は少なくありません。
なぜそんなことが起きるのかというと、会社は次々に新製品を売り続けないといけないからです。そうしないと会社が続かないのです。これで最終的な完成だといって同じ製品ばかり出していたのでは売り上げが鈍ってくるので、新製品を出さないわけにはいかなくなるのです。
改良と呼べるのか疑わしいモデルチェンジが行なわれ、新型として売り出されます。しばらくすると、次の改良型(?)が出てきます。そうやって、いつまでたっても最終的完成形に到達しないまま、ゴミの山が増えてゆきます。

この、新製品を売り続けないと続かないシステムには、もっと大きな問題があります。
いくら目新しさを演出して、無駄に使わせたり、使えるものを捨てさせたりして、うまく売り続けてみたところで、いずれ国内需要は飽和に達します。それでも売り続けないと続かないのですから、どこで売るのかというと、海外です。
海外の資源や安い労働力をうまく利用しながら、海外を市場にします。経済的な一種の植民地主義ですが、かつて左翼の識者たちはこれを「帝国主義」と呼びました。ローマ帝国のような古代の帝国にたとえたのです。
私は左翼ではないし、日本の文化・伝統を深く愛する者ですが、こうした、帝国主義、植民地主義みたいなやり方をどこまでも続けていけば、いつの日か地球人類全体が行き詰ることでしょう。
だからといって、マルクスの主張のように、生産手段を共有化すればどうなるのでしょうか。共有化といっても実際は国家が管理することになり、生産手段を持つ者が力を持ちますから、党中央に権力が集中し、スターリン国家が出現します。国家が人民を管理し抑圧し搾取する「社会主義国家」の誕生となるわけです。
(念のため言いますが、私は現代を生きているからこういうことが言えるわけで、かつて、みんなの幸せを願って活動した人たちを責めるつもりはありません。)

では、先進資本主義国の「豊かさ」の側にいる人間はどうなのでしょう。こっちの側の人間は、産業の発達で労働が軽減され、幸せになったのでしょうか。
どうも、ある種の労働の軽減は、別な労働の過多を招いているようです。ある種の楽チンが別の面倒をもたらすのです。
資本主義国内のことだけ考えても、例えば、機械を買って便利になったが、その機械を買うために、そして維持するためにお金がいるから、働かないといけない。仕事が忙しくなってご飯を作る時間もないから、スーパーで買って来るか外食するかしよう(それも産業)。そうすると食費がかかるから、もっと働かないといけない。さらに時間がない。時間短縮のために、もっと機械を導入しよう。
単純に書いたので笑い話のようですが、これに近いことが起きてくると、もう、産業の奴隷です。
機械化が進んで便利になり、時間が短縮されているはずなのに、逆に前より忙しくなった、余裕がなくなったという経験を持つ方は多いのではないでしょうか。
前にも書きましたが、機械の進歩による高速化・細分化・大量処理などに人間の側が合わせていかないといけなくなってしまったのです。機械の進歩に人間が従うという、本末転倒です。

さらに、便利さの追求が、人と人とを切り離し、相互扶助的な伝統を崩しています。かつては日常生活に不便な面があっても、家族同士、近所同士が助け合っていました。ところが、産業が発達して便利になると、人の手を借りなくともいろいろ出来るようになりますから、人と人とが助け合わなくなります。「日本は厳しい競争社会だ」などと言われ、殺伐とした中で生きる苦労は、かつての不便どころではありません。特に、小さな子どもや高齢者が家にいたりすると大変です。こんなにも他者に不寛容で殺伐とした中に暮らし、産業の力で楽をするくらいなら、不便な中でみんなで苦楽を共にし、お天道様の下で笑っていた頃のほうが良かった、ということになります。

どうも、産業文明の発達は、発展途上国とされる貧国はもちろん、先進資本主義国の人たちも、幸せにしないようです。
逆に言えば、拡大する産業文明に距離を置くほど、幸せに近づける、と言えるでしょう。

この話は、また後日に続きます。(伊藤)

もったいない

設計事務所のゴミがたまってきたので、まとめて軽トラに積み、ゴミ処分場へ持って行ってきました。
処分場へゴミを出しに行くたびに、誰かが捨てていった使えそうな物品の数々を目にし、「もったいない!」と思ってしまいます。

廃棄処分を待つ和ダンスが、いくつも無造作に置いてありました。杉の古ダンスが多かったのですが、ていねいな造りの桐タンスもありました。金具もていねいにできた真鍮製で、いい色でした。
ちょうど手ごろな大きさのケヤキのちゃぶ台も放り出してありました。いい感じに古びた色で、どこも壊れておらず、あんまりもったいなくて処分場の職員さんに聞いてみました。
「これ、もらっていっちゃダメですか?」
「お気持はわかりますが・・・・・、ゴミとして受け取ったものですから、差し上げるわけにはいかないんですよ。たしかに、もったいないんですけどねぇ。」

あのちゃぶ台やタンス、欲しい人もいるだろうし、それなりの値がつくだろうにと思ってしまいました。
自分のゴミだけ渡したらあとはよそ見せずに帰ろうと思っても、つい、目に入ってきます。
昔の職人がていねいに作った障子戸の数々、和家具の数々、火鉢や火消しつぼ、焼き物や塗り物、見た感じでは壊れていないものが多いです。そうしたものが今からつぶされたり焼かれたりするのかと思うと、いたたまれない気持になりました。

かつて職人が一つ一つ手作りしたものがゴミにされ、大量生産品にとってかわられるのは、なんだか、たまらないですね。ものがあふれる時代の不幸を思ってしまいます。(伊藤)

匂いの記憶

まさかこんなとろで、約20年前の光景を思い出すことになろうとは思いませんでした。

連休中、家族と一緒に民家協会の土壁塗りのイベントに参加し、庄内地方の山中で壁土(かべつち)をさわっていました。
山形市の中心部で不要になった土蔵2棟を移築し、2つつないで1件の住宅にするという工事を、ほんのちょっとお手伝いしていたのです。
そのとき、フラッシュバックのように、1984年の春の光景が浮かんできました。

1984年、愛知県内の福祉系の学校に進んだ私は、知多半島の海辺の学生アパートで1人暮らしを始め、ちょうどひと駅くらいの距離を、自転車に乗って通学していました。そのとき春の風の中で感じた「匂い」がありました。
それは、なんだか田舎臭い匂いで、なつかしいような、発酵したような不思議な匂いでした。何の匂いかそのときはわからず、肥料の匂いなのか、枯れ草の匂いなのか、東北にない植物の匂いなのか、いろいろ考えてもわかりませんでした。それが、20年も過ぎてから、再びあの匂いに出会ったのです。

壁土の匂いでした。

あの頃、知多半島に新築の家がどんどん建っていました。当時、もう東北では、新築の土壁はほぼ全滅でしたが、中部地方では、新築にも広く竹小舞下地の土壁が使われていました。
まさか自分がその後、建築士になり、しかも日本の伝統建築に関心を持つようになるなんて思っていませんでしたから、「何だか古臭いことをやってるなあ」と思いながら、工事現場の近くを通り過ぎていたのです。あちらこちらで、左官屋さんたちが壁を塗っていて、「匂い」がしていましたが、それが壁土の匂いだとはわかりませんでした。
田舎町でしたから、勉強する環境には不満もありました。でも、「古臭いこと」それ自体は悪く思えず、東北出身の私には、知多半島の古びた町並みも、「古風な」新築住宅もみな、新鮮でした。

その後、約20年も経ってから、秋の庄内であの頃と同じ匂いを嗅いで、匂いの記憶がこんなにも鮮明に残っていたのかと自分でも驚いています。

壁土は、土とわらを混ぜて湿らせたまま寝かせておいて粘りを出すのだそうです。わらが分解していくので発酵途中はかなり臭く、壁土と柿渋とウンチはいい勝負だと聞いていますが、壁土は発酵が進むと悪臭もおさまってくるのだそうです。
熟した壁土は、本当に、なつかしいような匂いがします。
最近は、自然のものが好ましく感じられ、特に、土から作られ土に還るものがとても好ましく思えるようになりました。

20歳前後の頃、私の目は、西欧やアジア諸国の方を向いていました。情熱も時間もたっぷりあったあの頃に、もっと日本の伝統に目を向けていればよかったと思う気持もあります。でもそれはそれで、今の自分にたどり着くための過程であったのかもしれません。(伊藤)

じねんと,じねんと。

「伊藤さんは、持続しない未来を予想してるのに、どうしてそんなにのん気でいられるの?」と聞かれることがありますが、のん気というより、じたばたあがいてもしかたないから、焦らずにいこうと思っているのです。
明日のことを思いわずらったって、寿命を1尺加えることもできないのですから、悩み続けて暮らすより笑って暮した方が得です。
お金のある人なら、今のうちに金塊を買っておくとか、お金をドルやユーロに替えて海外の銀行に貯金しておくとか、何か対策もあるのかもしれませんが、わが家はたいしてお金もないし、そもそもそういう延命措置みたいなやり方もしたくないんで、あまりお金のかからない山里でつつましく暮らしています。
たとえ日本沈没の日に備えて延命策を講じたところで、世界の産業文明それ自体が没落の方向に向かっているように見えますから、やはりみんながタイタニック号の乗員・乗客に思えてきます。

地方はひどい不景気ですが、こういう中におりますと、虚業で稼ぐため虚学を学ぶより、田畑や山林の手入れでも学んだほうがためになるのではないかと思えてきました。私の世代も、上の世代も、ものすごいエネルギーやお金を使って、産業立国だの国際分業だの、世の中は厳しい競争社会だの何だのと言って、未来に向かって持続しないことをしてきました。この、持続不能の産業システムは、さらに持続しない方向に加速しながら今も続いています。

考えてみれば、産業文明は長い人類史の中の特殊ケースであり、そもそもこの特殊ケースが長期的に持続する保証はどこにもなかったのです。原料やエネルギー源になる資源にしても、物品の製造や販売にしても、産業社会を前提にした各種サービスの提供にしても、それが無限に続くはずがないのは明らかなのに、ずっと続くような気がしていたのは、集団的な錯覚というか、幻想だったのです。
少し前までは、資源の枯渇と言われても遠い未来のイメージでした。いつかそういう日が来ても、その前に代替の資源が開発されるだろうと漠然と思っていました。ところが、資源の浪費や環境破壊のスピードが速く、とうとう廃棄物の処理にさえ困るようになってきました。石油資源がなくなるより先に、石油を使うことによって発生する廃棄物の捨て場がなくなるという指摘がありますが、その通りだと思います。
先人が大切にしてきた里山が、産廃の捨て場にされ、ゴミを満載したダンプカーが走って行くのを見るのは心苦しいです。いったい、今の時代を維持するため、どれほど先まで負の遺産を残すのでしょうか。

歴史を考えれば、原始時代(未開の時代)は長く続きました。文明の発達といっても、手作業や手動式の道具しかなかった時代であれば、長期持続型の社会でした。機械の発達による産業文明の社会は、人類の歴史全体の中ではごく最近のことに過ぎませんが、どう考えても持続しない方向に走り出し、しかもそれが加速して、止められなくなってしまいました。
持続可能な未来を目ざすのであれば、自給的な自然農法や小規模の手工業から学ぶべきだったのでしょうが、先進国とされている国々は、長期的には持続できない「近代化」の道を選びました。そうした国々は、世界の大国として強い力を振るうようになり、今も力を振るっています。大国の力の前に、道理が引っ込んでしまい、まるで「未来少年コナン」に出てくるインダストリアとハイハーバーを見るようです。

産業文明への危機感からか、近年、日本でも、ガンジーの思想が注目されるようになり、『ガンジー自立の思想』(M.K.ガンジー著、田畑健編、片山佳代子訳[地湧社])といった本も出ています。
ガンジーの思想というと、非暴力不服従でインド独立を指導したという印象が強いのですが、それはガンジーの一面に過ぎません(それだけでもすごいのですが)。
ガンジーは、機械文明を批判し、手作業による人間性の回復を説いた思想家でもありました。実は、私もこの本で初めて知りました。
本の帯にこう書いてあります。
「手紡ぎ車(チャルカ)を自治・自立の象徴としたガンジーは、近代機械文明の正体を見抜き、真の豊かさは自然と人間の共生にあることを知っていた。」
ガンジーによれば、機械文明は人間のエゴが拡大したものなのだそうです。インドはイギリスに負けたというより、イギリスが持ち込んだ機械文明に負けたのだそうです。確かに、機械が発達するほど人が幸せになるとは思えません。それどころか、機械の力で「便利」になる中で、人と人とがどんどん切り離されていくことに私も気づいていました。ガンジーは百年も前に気づいていたのに、その後さらに猛烈に産業化が進み、だんだん行き詰まりも見えてきて、やっと一部の人たちは百年前の彼の指摘の正しさに気づき始めました。

資本主義は、ひたすら産業化の道を進み、持続不能の、過剰な産業化を進めているのに、誰も止められません。
一方、社会主義は、言論封殺、思想統制の道を進み、権力が集中して腐敗しても、誰も止められません。

私が頭に描くユートピアは、多くの人が半農半漁、半農半林業、半農半手工業、その他の「半農半なんとか」になって、自給的な暮らしをすることです。まあ、これは私の頭の中の夢物語の話ですけれど・・・・・。
私自身、今の現実にある程度妥協しながら生きている一介の建築屋に過ぎないのですから。

電気や水道、自動車といった文明の利器を、わが家も使っています。ただし、だいぶ節約したり、効率的に使ったりできるようになりました。
この夏、山里では、エアコンはもちろん扇風機もいりませんでした。
山里で暮すようになってから、電化せずに済むものはなるべく非電化でいくことにしました。そうやって生活を見直すと、これまで電気でなくともできることにずいぶん電気を使っていたと気づきました。電化製品を減らすことで電気代が安くなり、生活がシンプルになっていっそう居心地が良くなってきました。
トイレは汲み取り式なので、水道の使用量が減り、水道代も安くなりました。しかも、ここは近くの山の水が水源の水道なので、水道なのに夏は冷たくおいしい水です。水がおいしいので、お茶もおいしいし、同じお米でもご飯がおいしくなりました。ミネラルウォーターを買う必要もなければ浄水器もいりません。水が違うだけでも、ずいぶん豊かに感じます。水道は一例ですが、ものごとは、複雑にするほど、大規模にするほど悪くなるようです。
山里にいるので自動車が必需品で、これは仕方がないのすが、田舎道は渋滞しませんから、渋滞という非効率の中でエンジンを回し続けることはなくなりました。

最近は野菜や果物を買わなくなりました。我が家の菜園の収穫と近所の農家からのいただきもので間に合っています。お米も近所の農家から玄米かモミのままでまとめて買おうと思っていますし、だんだんに田んぼの手伝いなどもできるようになりたいと思っています。これでニワトリでも飼えば自給率はさらに上がるのでしょうが、すぐにというわけにはいかないので、だんだんにやっていきたい目標です。

地方都市に住んでいた頃、おもしろくない仕事で現金を稼ぎ、出所のわからない食料をスーパーから購入する暮らしに嫌気がさしていました。おもしろくない仕事というのは私の身勝手ではなくて、意義を感じない仕事のことです。それでも収入のために、何の意義も感じない、つじつま合わせのような仕事もしました。それでお金を得ても、虚しさだけがつのりました。
今も、おもしろくない仕事から抜けきってはいませんが、自然の中で生きることの充実感を知りましたから、現金収入のためにはある程度いやな仕事もやむを得ないと割り切ることができるようになりました。

ここにいると、自然の恵みを肌で感じます。
自分たちの食料となる作物の生長も間近で見ることができますし、自分たちがこの大地とつながっているのを感じます。
日本の未来も産業文明の未来も、明るさを感じませんけれど、それでも不安にならずにいられるのは、わが家と大地とがつながっている安心感があるからかも知れません。

覚悟さえあれば、田舎に生まれた人でなくとも田舎暮らしはできます。普通の田舎は住民の一般公募などしていませんが、求めていればチャンスはあります。現金収入の道が限られることへのある程度の勇気と、少しの資金と、ご近所と仲の良い関係をつくることで、素敵な田舎暮らしが始まります。
(例えば、佐藤彰啓著『田舎暮らし虎の巻』[文化出版局]など、参考になります。)

未来を期待できない時代になってしまいましたが、私たち夫婦は長期的なスローライフを目ざして、少しずつやっていくつもりです。
じねんと。じねんと。(伊藤)

囲炉裏の法的問題

囲炉裏の話が続いておりますが、法律上のことをちょっと書いておきます。
建築基準法や関係法令上、既存家屋にもともとあった囲炉裏を使うのは問題ありません。わが家の場合はこれに当たるので、合法です。
新築の木造家屋の場合、平屋ならいいのですが、木造2階建ての1階に囲炉裏を作ると、火気使用室となるため台所同様の内装制限が適用されます。たとえ古民家の移築であっても、法律上は建築物の「新築」として扱われるため、2階建てであれば内装制限を逃れることができません。床や建具に制限はなく、壁は土壁でもいいのですが、問題は天井で、まさか石膏ボードを張って認定品のビニールクロスを貼るわけにもいかないだろうし・・・・・。木造2階建ての住宅で、囲炉裏の要望に応えたい建築士は、天井で悩むのです。
ちなみに、2階に囲炉裏を作れば内装制限が適用されません。そんな馬鹿なと思うのですが、法律とはそういうものです。なお、置き囲炉裏(移動できる箱型の囲炉裏)は、火鉢やカセットコンロと同じで、内装制限の対象外と考えられます。
私の知る限り、木造2階建ての新築家屋(法律上の「新築」も含めて)の1階に備え付けの囲炉裏を作るというのは、正攻法ではクリアできないので、法律上の問題は経験ある専門家にご相談の上、最終的にはご自分の責任で、としか言いようがないです。(伊藤)

囲炉裏は不完全

どうも囲炉裏というものは、わざと不完全にしてあるのではないかと思えてきました。
わが家の炉縁(ろぶち、囲炉裏のへりの木の部分)は、正方形のようですが、測ってみると微妙に縦横が違います。しかも、四角形の炉縁の4つの角のうち、3つは同じ仕口で、1つだけ違う仕口です。この、1つだけ違う仕口というのは他でも見ていますし、関東地方の古民家を見せていただいたときもそうでしたから、たぶん、何か意味があってわざとそうしているのでしょう。それも地域固有の風習ではなく、広範囲にそうしているようです。

日本の伝統民家が好きで、これまでいろいろ見ましたが、私が見た範囲では囲炉裏は部屋の中心からずらしてありました。どうも、囲炉裏は、中心とか、左右対称とかをわざと避けているようです。
これは私の想像ですが、何か縁起なりタブーなり、あるのかも知れません。囲炉裏をわざと不完全な形にすることと、火の管理の完全さを求めることや、火による災害を防ぐことは、何か関係していたのかも知れません。
残念ながら今となっては、囲炉裏のサンプルが少な過ぎますが・・・・・。(伊藤)