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話し合いをしよう!

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小学校3年生の娘が、こんな絵を描いてくれました。

「パパ、これ見て」と、持ってきてくれました。

不穏なニュースが流れています。娘は、娘なりに案じているようです。

「話し合いをしよう!」 小3の娘でさえ、そう言うのです。国や組織の指導者には、ぜひそうしてほしいです。

(伊藤一滴)

寛容の難しさ

寛容な相手に対し、自分も寛容に接するのは難しくないです。

私は雪国の山里に住んでいますが、近隣の人たち(ほとんど農家)は実に寛容です。たしかに、冬は寒いし、雪も多いし、厳しいと言えば厳しい暮らしですけれど、広々とした大自然の中で、周りの人たちと助け合う中にいると、自分が他者に正直に、他者に寛容になっていくのがわかります。

都会にいた頃、もちろんいい人もたくさんいましたが、どこに悪徳業者・ペテン師・暴力団関係者・カルト宗教・過激思想の人・不審者、その他、自分に危害を加えるかもしれない人がいるかわからないような感じで、防衛しないといけないような状況でした。それに、よく見かける人にあいさつして、無視されるなんてこともありましたしね。

ところが、田舎の山里にいると、心のよろいはいらないのです。実は、玄関も、車のドアも、カギをかけたことがないんです(駐在さんからは、カギをかけてくださいと言われるのですが)。戦後一度も犯罪が起きていない山里です。私はすっかり身軽になりました。

むろん、山里だからといって桃源郷ではないし、都会とは別な大変さもありますけれど、心は身軽です。子どもたちもここで伸び伸び育ちました。

世界のみんながこの山里のようなら、きっと平和になるのでしょう。でも、現実は、深刻な問題の数々があり、世には不寛容がはびこっています。

たとえ立場が違っても、相手が寛容なら、自分もその人に寛容に接するのは難しくないです。しかし、きわめて不寛容な相手に対し、自分の側が寛容に接するのは難しいです。

他者から不寛容なことを言われたりされたりして、それに不寛容に報いたら、悪しき連鎖となることでしょう。それがわかっていても、相手の不寛容に対し、こっちが寛容に接するというのは難しい。

不寛容に対し、不寛容で報いない。悪に対し、悪で報いない。これを自分に言い聞かせるようにしていますが、実行は、なかなか大変です。

もっとこれを拡大して考えれば、国と国との関係、他の文化圏との関係についても同じことが言えるのでしょう。

アシジのフランシスコに帰せられる「平和の祈り」を引用します。フランシスコがこう祈ったというのではなく、フランシスコなら、きっとこう祈ったであろうという祈りです。

引用開始

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。

憎しみのある所に、愛を置かせてください。

侮辱のある所に、許しを置かせてください。

分裂のある所に、和合を置かせてください。

誤りのある所に、真実を置かせてください。

疑いのある所に、信仰を置かせてください。

絶望のある所に、希望を置かせてください。

闇のある所に、あなたの光を置かせてください。

悲しみのある所に、喜びを置かせてください。

主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください。なぜならば、与えることで人は受け取り、己を忘れることで人は見出し、許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。

引用終了(ウィキペディアによる)

この祈りにあるように、理解されることよりも理解することを私が求めますように。

(伊藤一滴)

天皇陛下のおことば

(読みやすさを考え書き直しましたが、趣旨はまったく変わりません。)

今上天皇はご即位に際し「即位後朝見の儀」で、「皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い,国運の一層の進展と世界の平和,人類福祉の増進を切に希望してやみません」とおっしゃっておられます。 また、今年の新年のご感想として「放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます」、そして、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」とも語られました。ここに私の感想を書く必要もないでしょう。誰が読んでも、陛下のお考えは明らかですから。(上記引用は宮内庁の公式の発表です)

陛下は、象徴というお立場ですから、特定の政治的な見解に与することはありません。しかしながら、「おことば」や「ご感想」や、これまでどの地に足を運ばれ、どの地には決して行かれないのか、といった事実から、今上天皇のご意向が感じられます。

(伊藤一滴)

出典:宮内庁ホームページ

引用開始

即位後朝見の儀 平成元年1月9日(月)(宮殿)

大行天皇の崩御は,誠に哀痛の極みでありますが,日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより,ここに,皇位を継承しました。

深い悲しみのうちにあって,身に負った大任を思い,心自ら粛然たるを覚えます。

顧みれば,大行天皇には,御在位60有余年,ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され,激動の時代にあって,常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ,今日,我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し,平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。

ここに,皇位を継承するに当たり,大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし,いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ,皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い,国運の一層の進展と世界の平和,人類福祉の増進を切に希望してやみません。

天皇陛下のご感想(新年に当たり)

平成27年

昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。

また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。

本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。

この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。

引用終了

 

イスラム過激派の「テロ」に思う

どのような理由であれ、人を襲って殺傷することを、私は肯定しないし、容認もしません。殺された人たちを悼み、傷ついた人たちの回復を祈るばかりです。

しかし、私は報道に違和感を覚えます。「風刺」によって宗教を侮辱されたと感じる側はどうなのでしょう。宗教そのものを侮辱するかのような表現も、表現の自由・言論の自由なのでしょうか。

私は、風刺とは、多くの場合、間接的に、社会や巨大組織や権力者などの愚行を指摘し、出来ればそのようなあり方・やり方を阻止したい、改めさせたいという意図を持って、皮肉を込めて笑い飛ばすような、文化的表現だろうと思います。(私もそうした風刺に賛成ですから、紅白を見ながらサザンオールスターズの歌に拍手喝采したのです。)

イスラム過激派の組織は、武装組織であり、当然、風刺の対象になるし、彼らを風刺することに対し、どうこう言うつもりはありません。しかし、ムハンマドを侮辱したと受け取られるような「作品」を、風刺と呼べるのでしょうか。イスラム信者の大多数は穏健に平和的に生きています。宗派・教派を問わずイスラムの人々が崇敬するムハンマドを侮辱するような作品は、社会の風潮や権力者に表現で立ち向かう風刺とはちょっと違うように思います。

私は、日本の葬式仏教を厳しく非難することもありますが、お釈迦様を侮辱したりはしません。キリスト教原理主義者(ファンダメンタリスト)に対してもかなり厳しいことを言いますが、イエス・キリストを侮辱したりはしません。もちろん、ムハンマドを侮辱したこともありません。

その宗教そのものと、その宗教内部の歪みとを、はっきり分けて考えるべきです。内部の歪んだ考えを批判するときに、その全体を侮辱するような表現は、やはり、よくないと思うのです。

私が心配していたとおり、フランスや、各地で、イスラム教徒への襲撃事件や嫌がらせが起きています。「過激派」と「穏健な信者」は別です。ごちゃ混ぜにしないでほしい。過激派とされる人たちだって、多くの場合、追い詰められた結果そうなったのでしょう。絶望的に思える貧富の差や、差別があったのかもしれません。どうして武器を取るまで追い詰められたのか、それを思うと悲しくなります。

どうか、無理解から来る不寛容と不寛容とをぶつけ合わないでほしい、そう願わずにはいられません。

(伊藤一滴)

NHK紅白2014 サザンオールスターズの快挙

明けましておめでとうございます。

年末ぎりぎりまで仕事をし、年が明けてから年賀状を書いています。元旦に届くように送ってくださった皆様、ごめんなさい。

大みそかの夜、家族で紅白歌合戦を見ました。私は普段、テレビも見ないし、芸能も、音楽も疎いのですが、サザンオールスターズの桑田佳祐さんはすごかった。

いくら疎い私でも、あれは、見事だと思いました。

ヒトラー総統を思わせるちょびヒゲの桑田佳祐さん、いい歌をありがとう。映画「独裁者」の中のチャップリンの名演説を思い出しました。私はテレビに向かって拍手喝采しましたよ。

サザンオールスターズの紅白出場はぎりぎりになって決まったそうで、ある種の勢力による圧力や工作の時間を与えないようにしたのではないかと想像しました。

世には「今だけ、金だけ、自分だけ」の風潮が広がっています。政治もまた、この風潮に乗りながら、好ましくない方向に進んでいるように思えます。

歌のタイトル、歌詞の内容、ちょびヒゲの演出と、偶然がそんなに重なるはずはないでしょう。やりましたね、桑田さん。サザンオールスターズの皆さんとこの放送を実現したNHKの関係者の方々に、心から拍手を送りたいです。ありがとうございました。

(伊藤一滴)

付記:桑田佳祐作詞、作曲「ピースとハイライト」の歌詞は下記で見られます。

http://j-lyric.net/artist/a000623/l02dd55.html

一見、タバコの名前のようなタイトルですが、内容はタバコとは全く関係ありません。ハイライトの「ライト」を Light ではなく、Right(右派、右翼)という意味にとれば、歌詞の意味と整合します。

付記2(2015.1.16)

ヒトラーは民主的な選挙で選ばれた、というのは、歴史的事実です。当時のドイツ国民が選挙で選んだのです。忘れてはいけません。

天皇陛下があえて「満州事変」に触れられた意味はなんでしょう。深読みすれば、日本が満洲事変に向かっていった時代を忘れてはいけない、ということではないのでしょうか。

サザンオールスターズによる風刺的演出を許さないほど、日本社会は不寛容になってしまったのでしょうか。「経済的な厳しさが人を不寛容にする」という指摘もあります。やはり私は、ヒトラーを選んだドイツや満洲事変に向かった時代の日本と、今とが、重なって思えるのです。

ご参考:サザンオールスターズの事務所がお詫びの文書(釈明とも読める)を出しました。 http://www.amuse.co.jp/saslive2014/