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「エーデルワイス」と「ドレミの歌」

寒いです。
2月は寒くて当たり前ですが、山形県内陸部の山里はけっこう冷えます。
晴れてくると、雪の結晶がキラキラ輝いて、宝石を撒いたみたいにきれいです。根雪が固くなり、雪の上を歩いて近くの杉林から杉葉を拾ってきたりもできます。杉葉はまきストーブの焚きつけに使います。日中は気分がいいです。でも、晴れた日ほど夜に冷え込むので、翌朝の寒さが厳しいです。
夜は、フクロウの声を聞きながら、土間を作業場にして、傷んだナタの柄を替えたりしています。
春が待ち遠しいです。

今日の話はただの雑文です。

ある方の荷物の片づけを手伝い、本や冊子、古民具などをもらってきました。たまたまその中に、日本で公開された「サウンド・オブ・ミュージック」のパンフレットがありました。たぶん、1964年の映画公開のときに発行されたものでしょう。家に持ち帰ってから、じっくり見たら、そのパンフレットに「エーデルワイス」や「ドレミの歌」などの抄訳が載っていました。

今となっては、入手が難しい史料(?)なので、参考まで紹介します。

エーデルワイス(訳者名なし)
「ま白な花、清く光る美しい花、幸福そうな雪の花、永遠の花を咲かせたまえ、のびたまえ、エーデルワイス。わが故国を祝福しておくれ」

ドレミの歌(訳者名なし)
「ドはドラムのド、レはレンズのレ、ミはミルクのミ、ファはファンファーレ・・・・・。」
同じパンフレットの別の頁に、別の抄訳もあります。
「ドはドーナツのド、レはレンゲのレ、ミはみんなのミ、ファはファンファーレ・・・・・。」
今でも広く歌われているペギー葉山氏の「ドレミの歌」の訳が定番になる前の抄訳のようです。

ちなみに、「ドレミの歌」の英語は、こんな感じです。

「ドレミの歌」
ドーは鹿、雌の鹿。
レイは光線、金色の太陽からこぼれる光線。
ミーは、自分を呼ぶときの名前。
ファーは、はるか遠く。
ソーは、針仕事。
ラーは、ソーの次。
ティーは、飲み物、ジャムとパンのお供。
そしてドーに戻ります。

日本語で歌うには言葉を変えて曲に合わせないと、ちょっと無理があるようです。

日本人の私の感覚だと、「シーは海」とか「シーは彼女」とか、連想するんですが、ティー(紅茶)に近い音なんですね。しかも「ジャムとパン」が出てきて、「ジャムをつけたパン」とは言ってません。ジャムは紅茶に入れて飲むのかな?と想像します。それとも、曲に合わせるために「ジャムとパン」と言っただけで、「ジャムをつけたパン」を意味するのか? 私、ヨーロッパの食文化に詳しくないので、どっちだかわからないです。(伊藤)

山里の暮らし

毎年のことですが、私が住む山形県村山地方の山里の1月は、寒いし、かなり雪が降ります。
今年も家の1階が雪に埋まり、出入口のところだけ掘って、そこから出入りしています。1階は地下室みたいです。

なにかと近所の高齢者たちから助けられることが多いので、申し訳なく思っていたら、こんな話を聞きました。
「伊藤さんとこは、小さい子どもがいるんだから、子どもを大事にしてやってな。昔、オレたちが若くて子どもが小さかったとき、亡くなったお年寄りたちがまだ元気で、『あんた方は小さい子どもがいるんだから、子どものことが第一だ』って言ってくれて、いろいろやってもらったんだ」
というのです。ありがたいです。
みなさんありがとうございます。私がお会いしたことのない亡くなった方々も、どうもありがとうございます。

配慮は世代を越えて受け継がれていきます。
雪国の農村は、たしかに、冬の自然環境は厳しいですが、地域で助け合って生きているので住みやすいです。

ふもとの小学校は1クラス十数名。保護者たちもみな、顔の見える関係で、話はすぐに通じます。
冬は、子どもたちはソリ遊びをしたり、大きな雪だるまを作ったりして、大声をあげて外で元気に遊んでいます。
生きにくい時代だと言われる中、日本にはまだこんな場所があります。
私たち家族だって現代の世の中を生きていて、昔の日本にいるわけではないのに、なんだか、なつかしい所にいるような気がしてきます。
「現代の桃源郷みたいね」と妻は言います。

山里の人たちは昔から、お互いに助け合って暮らしてきたのでしょう。別に規則でなくても、助け合うという基本精神が、日常のいろいろな場に現れるのでしょう。
利潤追求で動く資本主義の産業文明と、相容れないものを感じます。

近隣の人たちが助け合いながら、自給的な農業を営み、つつましく生るのは、劣った暮らしなのでしょうか。遅れているのでしょうか。
近所の人たちは豆を育て、味噌を作っています。山菜を干して保存したり、さまざまな漬物を漬けたりもします。妻も、近所のおばあちゃんから漬物を習っています。私は味噌作りを覚えたいです。
そんなことより「買って来たほうが安い」のでしょうか、「手間を考えたら割に合わない」のでしょうか。

なぜ経済や産業を発展させ続けないとないといけないのか、なぜどこまでも競争し、勝ち抜いていかないといけないのか、私にはわかりません。

「あなたは草食系なのよ。時代の最先端なのよ」と妻は言います。
自然の恵みを大切にしながら自然環境との調和の中で生きる、今やそれが最先端。
ひたすら合理化だの開発競争だのを繰り広げ、生産の大規模化を目ざすのは時代遅れの旧文明。持続せず、やがては破綻に向かう道。たぶん。

山里の人だって、かすみを食べて生きるわけにはいかず、産業文明はじわじわ浸透しつつあります。
それでも、アメリカ合州国を頂点にしたグローバリズムとやらに呑まれることなく、人の意識も含めた地域の文化を守ってこそ、未来につながってゆくのではないかと思います。

私はこの山里で育ったわけではなく、よそから来た人間です。
もとからいる人には、山里の暮らしは空気のように当たり前で、あまり良さを意識しないのかもしれませんが、私には良さがよく見えます。

こんな恵まれた中で育った子どもたちが大きくなって都会で暮らすようになったら、都会暮らしは、さぞ大変だろう思います。まあ、そのときは、農村部に移り住んで暮らせばいいだけの話ですが。

今後の世界がどうなるのか、不透明ではありますが、産業文明の行きづまりや、食料や生活物資の不足、そしておそらく、農村の自給的な暮らしの再評価、といったことくらいは予想できます。(伊藤)