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過去・現在・未来

東北の日本海側は晩秋から冬にかけて冷たい雨が続きます。雪が降れば覚悟もしますが、冷たい雨がしとしと降り続くのは真冬の雪よりいやなものです。そんな日がもう1週間以上続いています。
外は陰鬱な鉛色の空。
私は薪ストーブに木をくべながら、文明の発展だの、進歩だのというのは、いったい何のことかと思いをめぐらしていました。
考えてみると、進歩とされるものは、人の幸せと比例しておりません。
ある一部で幸せをもたらしているように見えても、全体を相殺したらどうでしょう。プラスとマイナスとどちらが大きいのでしょうか。

縄文時代は、過去の学者の想像とはだいぶ違い、一時的にはいろいろあったかもしれませんが基本的には平等で豊かな社会だったようです。これが1万年以上続きました。長期持続可能というのはそれだけ完成度の高い社会だったと言えます。その後は、大陸から人や文化が流入し、農耕の時代が約2千年続きました。

明治になって日本が取り入れた産業資本主義は、周期的に不況がやってくる不安定なシステムでした。これは今も続いていますが、ほぼ周期的に不況になりますし、維持するために他国の資源や労働力を利用し続けないといけないという「帝国主義的システム」であることは今も変わりません。無限の産業化などあろうはずもなく、資本主義の長期持続は疑わしいです。世界の産業社会はあと数百年続くでしょうか? 日本では今後百年続くかどうかも怪しい気がします。
今の日本は産業が進み、みんなせっかちになり、疲れ、イライラし、想像力を欠き、他者に配慮しなくなってきました。これが進歩でしょうか。

物が不足していた時代なら、物を作れば売れたでしょう。
物資・制度・社会資本などが満ちたりてくると、では何をすればよいのか、ということになります。
戦争にでもなれば話は別ですが、大量生産システムが確立した状態で平和が続けば、供給は幾何級数的に増大可能でも需要は算術級数的にしか増加しません。受け入れる市場がないのです。

自社の売り上げ(物品の販売だけでなくサービスの提供なども含めてですが)を伸ばすためには、ライバル業者の売り上げを減らすしかありません。その社に、その国に、供給できる体制があっても需要は限られています。海外に供給するにしても、これも無限ではありませんから、国内企業・海外企業との戦いになります。結局、同業者の食い合い、つぶし合い、消耗戦です。

それがいやなら、これまでなかった新製品の開発ということになりますが(これも物品だけでなく新システムや新サービスなども含めて)、これだって無限ではありません。画期的な新製品を装ってはいても、多くはたいして意味のないモデルチェンジです。しかも種類がどんどん増えて把握が難しくなり、供給する側も使う側も膨大な物品(およびシステムやサービス)の山に囲まれて時間を奪われます。機械などであれば互換性をなくし、目新しく思える新製品を売り込んで過去のものをゴミの山にします。また、システムが変わってしまったために、まだ動くのに使えなくなった製品も多数あります。たとえば私も、ドラフターを捨て青焼き機を捨てワープロ専用機を捨てました。

こんなことをしながら、未来の日本は超インフレ(急激に物価が数十倍、ことによったら百倍)、国債の大暴落、公的制度の崩壊、貿易不能によるエネルギー不足と食料不足、最悪の場合は餓死者凍死者多数、なんていうのは素人の私にも想像できます。

1万年以上続いた縄文時代と比べ、なんと愚かなことか。
産業社会は人を幸せにするどころか、つぶし合いと浪費で末期に向かっているだけではありませんか。これが進歩でしょうか。

ではどうすればよいのか。
また私の「夢物語」の話ですが、一つは大量生産システムをやめることです。
各家庭の庭にワタを植え、昔ながらの方法で糸を紡ぎ、機(はた)を織れば、衣食住の「衣」がまかなえます。そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、ガンジーは率先してやりました(『ガンジー自立の思想』参照)。
本当は狩猟採集が理想ですがそうもいかないので、ある程度は狩猟採集を取り入れつつ、みんなが小規模な「半農」になって基本的な作物を無農薬で自給します。農耕がどんどん「進歩」して破滅しないように、狩猟採集が基本の縄文の理想を忘れないようにして、自分たちで製造や修理ができる簡単な農具だけを使った自給的農業にし、工業はせいぜい手工業程度にします。これで「食」がまかなえます。
「住」も同じです。その地域で手に入る材料を使い、その地域の職人の手造りで家を建てます。古くは縄文時代に由来する日本の古民家が参考になるでしょう。
これで、公害もなくなりますし、互いにつぶし合うことなく、みんなが食べていけます。

産業文明社会という修羅からの脱出です。(伊藤)

熊出没!

自宅の裏に熊が出ました。姿を見たわけではありませんが、明らかな痕跡がありました。家から数十メートルの所でした。
11月3日、外で子どもたちが騒いで「熊のウンチ、熊のウンチ」と大声を出しているので、どうせまたふざけているのだろうと思いながら行ってみたら、近所の農家の人たちも来ており、本当でした。
自宅に裏に近所の家のリンゴ畑があるのですが、リンゴの木の枝が折られ、食い荒らされ、幹に鋭い爪のあとが残っていました。リンゴの木の下には、子どもたちが言うように、でっかいウンチがありました。まだ新しい感じで、夜のうちに来たのでしょう。
「こんなに近くまで熊が来たのは初めてだ」と農家の人も驚いていました。

交通事故に比べれば、熊に襲われ死傷する事故など数百分の一とか千分の一とかでしょうけれど、家のすぐ裏まで熊が来ているのは気持のいいものではありません。
子どもたちには鈴を持たせました。今月末くらいには冬眠に入ると思うのですが、それまでは夜間なるべく外出しないようにしています。やむを得ず夜に出かけるときは、鈴、懐中電灯、おもちゃのピストル(かなり大きな音がする)などを持参しています。なるべく熊を刺激したくないのですが、万一のための備えです。

今年、町内で捕獲された熊は約40頭。山形県内全体では360頭以上で、長野県についで全国2位です(これは合法的な捕獲数で、密猟についてはわかりません)。
「捕獲」された熊は「駆除」されます。ようするに殺すのです。絶滅のおそれもあるという野生動物をそんなに殺すのはどうかと思うのですが、農作物の被害や人身の被害を防ぐためにやむを得ない、というのが駆除する側の言い分なのでしょう。

熊は、なにも悪くありません。人間が開発を進め、ブナの森を切り開いて杉を植え(しかもその杉はろくに手入れもせず放置)、必要性の疑わしい道路を山奥まで通し、ダムを造り、熊の居場所をせばめてしまったのです。しかも今、山間部は過疎化が進み、人が少なくなりました。我が家はともかく、山から木を得て煮炊きや暖房に使う家はほとんどありません。里山は荒れ、休耕地も増え、自然林との境界がはっきりしなくなってきました。熊にしてみれば、自然の中を歩いているつもりが突然里に出てしまうわけです。そうしたら、うまい食べ物がいろいろあり、だんだんに危険を冒して出てくるようになったのではないでしょうか。それでワナをしかけられたり撃たれたりしたんじゃあ、たまったものではありません。私は熊に同情します。

人間も自然界の一員であり、自然の調和の中に生きています。目先のことで調和を乱せば、やがて自分たちの首をしめることになります。野生動物が住みにくい日本は、人も住みにくい日本になるだろうと思います。(伊藤)